「ゆとりでもわかるコンテンツの価格の決まり方」について

川上量生氏のエントリ

ドワンゴ創業者である川上量生氏が「ゆとりでもわかるコンテンツの価格の決まり方」というエントリを書いている。興味深いエントリで、そろそろ続編が出てくるかなと思ったら、その代わりに、はてブへのコメントが追記されていた。こんなことなら、はてブで突っ込んでおけばよかった、と思ったので、エントリを起こしてみることにした。

誤解のように断っておくが、エントリを書かれている立場は理解しているつもりで、その姿勢に反対しているのではない。とくに前半から中盤にかけては、おおむね納得のいく話だ。後半の現状認識については、むしろ“反対派”から突っ込まれる要素が散見されると思うのだ。

疑問点

以下、個別に挙げていく。

パソコンはおよそデジタルデータとして扱えるパッケージ型のコンテンツはすべてコピーできるので、ネットの普及と相まって一般ユーザレベルでも無断コピーを利用することがとても容易になった。そして事実上、法的なリスクも一般ユーザにはほとんど存在しない以上、コンテンツ市場が縮小するのはあたりまえのことだ。

自分で買ったCDを音楽プレイヤーにリッピングすることも“無断コピー”と言えなくもないが、違法性を持つレベルで言えば誰もが無断コピー(違法コピー)しているわけではない。日本レコード協会の調査*1によれば、ファイル共有ソフトの現在利用者は1年前で9.1%であり、ダウンロード違法化の施工によって減少していると指摘する人もいる*2。法的に合法となったら(現在違法とされている)無断コピーが横行することは容易に推察できるが、少なくとも現状は違う。

また、日本レコード協会の統計*3によれば、音楽ソフト生産金額のピークは1998年頃である。この頃はまだブロードバンド普及率が15%程度しかないので、たとえば「ネットにより複製が容易になったから音楽ソフトが売れなくなった」という因果関係を導くことは難しい。さらに、日本映像ソフト協会の統計*4によれば、売上金額のピークは2004〜2005年であり、2009年の実績は90年代と大差ないくらいだ*5

これらの数字を見る限り、「コンテンツ市場が縮小した」原因を、「(現状は)コピーが容易で、法的リスクが存在しない」こと“だけ”に頼ることは難しいと思う。

音楽というコンテンツフォーマットも音楽を聴いているユーザー数も変わらないのに、音楽市場が減少するとしたら、違法コピーが原因じゃないなんていうのは脳みそにウジが沸いているといわれても仕方ないだろう。

“安売り”競争が激化すれば「音楽というコンテンツフォーマットも音楽を聴いているユーザー数も変わらな」くても市場規模は小さくなる。とくに今は“デフレ”と言われている時代なのだから、安値競争で市場規模が小さくなっても何も不思議はない。いわゆる印刷物としての書籍も市場規模は小さくなっているが、その原因を“コピーが容易になったから”とは言えないだろう。必ずしも同一視できるものではないが、全国出版協会による統計日本製紙連合会による紙の生産量の推移は連動していない。

無断コピーが自由にできる環境では1円でも値段がついていたら、ユーザはお金を払わない。

それが“違法”であれば、躊躇する人は少なからずいるし、ダウンロード違法化の影響でファイル共有ソフトの利用者が減っているのであれば、それなりの“順法精神”が残っているということではないだろうか。

おそろしいことに本当にコンテンツの価格をタダにしろといっている無茶苦茶なひとも世の中には存在していて、しかも割とその主張は正しいものだと世間で受け入れられている。

昨年話題になった”FREE”の著者クリス・アンダーセン氏などはその典型だ。

“FREE”はコンテンツをタダにしろという単純な主張ではないはずだ。「フリーミアム」は、“無料+プレミアム”の造語であり、無料のものに付加価値として対価を得ることを意味している。もちろん、「フリー」を出版した NHK 出版が、その後の書籍にフリーミアムモデルを採用しているようには見えないから、その現実性は推して知るべきとは言える。

コンテンツを無料にすべきという主張のどこがおかしいのかについて説明する。

いまだにその主張をしている人は、何か説明されたからといって理解する能力があるだろうか。