フェアユースは大企業に有利な制度

BOOKSCAN とフェアユース

昨日のエントリで取り上げた BOOKSCAN について、著作権に対する適法性を疑問視する声がある。社会的に差し止めるべきかどうかという問題はともかく、もし権利者側から差し止めようと法的な行動に出たら、業務を続けられないだろうというのが多くの専門家の見方のようだ。

そうした状況について「フェアユースがあればよいのに」という声があるようだが、本当だろうか。フェアユースは、必ずしも訴訟リスクを減らすものではない。日本では、Google のような検索エンジンYouTubeニコニコ動画のような動画投稿サイトが裁判を起こされたことはないと思うが、フェアユースのあるアメリカでは裁判を起こされているのが現状だ。ブック検索の和解案もアメリカで著作権者から起こされた裁判が元になったものだが、日本ではそうした動きはない。そうした現実を見る限り、フェアユースのない日本よりも、フェアユースのあるアメリカの方が訴訟リスクは高い。

フェアユース(公正使用)とは

私自身はフェアユース導入には賛成の立場である、と表明しておくけれど、どうもフェアユースは誤解されている気がするし、その誤解こそがフェアユースの導入を阻んでいるように思われてならない。

wikipedia から引用する。

フェアユースフェアユース(fair use)とはアメリカ合衆国著作権法などが認める、著作権侵害の主張に対する抗弁事由の一つである。

フェアユースは「(誰かが)フェアだと思うことなら合法だと保証する」ものではない。たとえば、使用者がフェアだと信じたところで、著作権者が侵害だと思えば、裁判を起こされる可能性はある。とくに民事裁判なんてどんな言いがかりでも起こそうと思えば起こせるものではあるのだろうけれど、「フェアユースがあるから裁判を起こされる心配がなくなる」わけではないし、それはフェアユースが実現するものではない。時間のかかる立法措置に頼らず、裁判所によってフェアユースと判断される事例が蓄積されることで、変化が早い分野が対応しやすい制度だと言える。

個別規定の限界

著作物の利用形態が多様化する一方、その複製がかつてないほど容易になった現在、著作権法が(時間をかけて)合法な形態、違法な形態を列挙しても、新たな技術への対応が遅れてしまうのは問題だ、という意見がある。この意見にはおおむね賛成であり、それがフェアユース導入に賛成する理由でもある。そして、この問題には「公正なのに形式的に違法化してしまう」ことだけでなく、「不公正なのに形式的に合法化してしまう」という面もある。前者だけ解決しようとフェアユースを導入しようとしたら、後者を懸念する側から反発されるのは当然だろう。

後者として代表的なものが私的複製だ。著作権法第30条では個人的な範囲で使用することを目的とした複製は著作権が制限され、合法とされている。だが、私的な目的ではあるものの“公正”とは言えない形態が登場して、そのたびに条件が追加されてきた。今年導入されたダウンロード違法化、つまり、違法コンテンツのダウンロードが違法化されたのもその例である。では、フェアユースのあるアメリカでは、違法コンテンツのダウンロードは合法なのだろうか。

数年前、アメリカのとある技術イベントでクリエイティブコモンズについての小さなセミナーがあった。セミナーが終わって、講師である弁護士の人に「今、日本では違法コンテンツをダウンロードしても合法なのだけれど……」と、その点についての意見を尋ねようとしたのだが、間髪を入れず「今何と言った? 違法なものをダウンロードして合法だと?」と驚かれた。日本の状況を説明したが、「机の上に本があったとする。それを“誰かがわざと置いていった”と思ったりはしないだろう。それを自分の物にすることは明らかな盗みだ。アメリカでは犯罪だよ」と断言されていた。もちろん、どこにでも異なる意見を持つ人はいるだろうが、そもそもダウンロード違法化もアメリカによる年次改革要望書が契機だったことを考えれば、フェアユースのあるアメリカでも違法コンテンツのダウンロードが「フェア」だとは認識されていないようである。

また、日本のカラオケ法理に類するものとして、米国では寄与侵害責任や代位責任というものがある。カラオケ法理が個々に合法な行為を(営業主を主体にすることで)違法化するのに対し、寄与侵害責任や代位責任では個々が違法であることを条件だそうだ*1。ところがアメリカでは私的複製が明文で合法化されているわけではないので、私的目的の複製であっても違法とみなされる可能性を否定できない。実際、以前のエントリで取り上げた Cablevision についても、利用者から見れば私的複製以外の何ものでもないわけだが、それでも裁判(二審)では違法と判断された。RealNetworks が販売した「RealDVD」というソフトは、DVDの私的複製を目的としたソフトであり、回数制限や再複製防止の仕組みを取り入れていたにも関わらず、映画業界との裁判に負け、和解のために多額の賠償金を支払う羽目になった*2。いずれも、フェアユースのあるアメリカの話である。

フェアユースでは合法かどうかは裁判で決まる

フェアユースは抗弁事由でしかなく、裁判を起こされたら受けて立たなければならない。裁判は応訴しなければ負けてしまうからだ。つまり、著作物を提供する側か、利用する側のどちらにとっても、裁判を維持し続ける体力が必要である。また、日本では懲罰的賠償金制度がないので、酷い使われ方をした場合でも、あるいは利用者を恫喝して著作物利用を制限しようとしても、裁判費用を回収できるほどの賠償金を得られない可能性が高い*3

つまり、著作物を提供する側に裁判を起こす十分な体力がなければ勝手に利用されてしまうことを防げないし、著作物を利用する側に裁判を起こす十分な体力がなければ、フェアだと信じたからといっておいそれとビジネスを始められないことになる。つまり、どちらの側だとしても、体力のある大企業にとって有利に働くのである。もっとも、大企業だからといって、個人レベルの小さな侵害に対してまで個別の裁判を起こす手間をかけられるわけではないだろう。懲罰的賠償金制度でもあれば別だが、いくら弁護士が過剰だからといって、タダで働いてくれるわけではない。とくに匿名性のあるツールで発見されにくいようなケースでは、全員を調べ上げる代わりに目立つ誰かを“見せしめ”にするということはあるだろう。もちろん、見せしめにされた個人に勝ち目はないだろう。

強者が強化される

現状でも、大手のテレビ局だの、大手の出版社だの、大手のレコード会社だのが、力の弱いクリエイターに一方的な契約を押しつけていると言われることがある。だが、契約書に署名しなければ、あるいは条件を交渉したうえで署名していれば、本来酷いことにはならない*4。ところがフェアユースがあれば、クリエイターが「そんなことを許諾した契約はない」と言い張っても、相手から「フェアユースだからね。反対するなら裁判でもしな」とか言われる可能性もある。

もちろん、私がフェアユースに賛成するのは強者の権限強化のためではなく、「フェア」の基準は時代や技術にともなって変化するので、あらかじめ明文化しておくことには限界があると思うからだ。だが、その制度がどのような影響をもたらすかを考慮しておくべきだし、それを考慮せずに安易に導入しても反発を強めるだけで、まとまりようがなくなってしまうと思うのだ。

*1:カラオケ法理」は必要悪だったのか」より。

*2:「合法的DVD複製ソフト」、RealNetworksが販売停止受け入れ」。

*3:これが大企業による中小企業いじめの実態だ」では、1億円超の損害賠償のために数千万円の弁護士費用がかかっていることが紹介されている。

*4:そもそも、この手の契約は信頼関係がなければ成り立たないものなので、問題が起きるのは、たいてい関係が解消された後だったりするのだが。