すべての人を不幸にする「君は彼方」

もともとキービジュアルからして「なんか『君の名は。』の二番煎じ狙い?」が露骨に感じられて期待感が生まれない上に、声優が芸能人だらけである。とはいえ、「Fate」のように(ファンの人には素晴らしい作品と言われていても)見る気が起きないものと違い、路線が苦手な感じではない。期待していなくても思わぬ拾い物があったりもするので、一応前売券(ムビチケ)を買っていた。

そういう中、高速バスで10日間の旅に出る日(11/11)、ちょうど池袋で「君は彼方」のジャパンプレミアがあるというので参加することにした。なにしろ前売券が使えるというのだ(そういうものなの?) 封切までは前売券を売るだろうから、もし面白ければまた買ってもいい。ただ、招待客も多かったのか、ジャパンプレミアでは空席が散見された。舞台挨拶の後、本編が始まる前に抜ける人もそこそこいた。

それにしても酷い作品だった。アニメの声優は、ちゃんとプロにやってもらいたいと思っていて、本作の芸能人声優たちも決して良い評価をするわけではないのだが、全体的にそういうレベルではなかった。これだけの著名人を声優に使うくらいなのだから、それなりに大作に相当するものだろうと思っていたが、そうではなかった。丁寧な作画、素晴らしい動き、よくできた効果や音楽など、ストーリーに好き嫌いや出来不出来はあるものの、アニメとして大きな労力を割かれた作品を芸能人声優が台無しにするという作品が多い中、本作はどれをとってもダメである。

君の名は。」ヒットのときに、これでSF要素の入ったラブストーリーがたくさん出てくるだろうと予想はしていたが、そういうモノの中でも酷い。瀬名快伸監督にとっても、制作のデジタルネットワークアニメーションにとっても、初の長編劇場アニメらしいが、今後仕事が来ないのではないだろうかと思うほどである。予算がなかったのか、時間がなかったのか、どこかで揉めたのかわからないが、劇場アニメの品質ではない。なにしろ作画が雑な上に、止め画が多い。そこらのテレビアニメにすら負けている。それでもストーリーがよければ、と思うところだが、これがお粗末。及第点を与えていいのは(たぶん)音楽くらいだろうが、だからといって印象に残ることもない。

これは、ある意味、すべての人を不幸にする映画といってもいい。オリジナル作品なので、どこにも思い入れはない分、鑑賞する立場としてのダメージは決して大きくないのだけれど、こんな作品に対してすらジャパンプレミアではキャストが「大切な作品になりました」とか「内容が深いのでじっくり味わってください」とか言っていて、「役者魂」を感じるとともに、そう発言しなければならない立場を思うと痛ましくなってしまうほどであった。

新型コロナ: バカにつける薬

といっても治せるわけではないですが、相変わらずうんざりするコメントが寄せられるので、ほとんど過去の繰り返しですが、蚊取り線香のつもりで記しておきます。

あなたは危機を理解してもらう為に故意にセンセーショナルな文章を書いていますね

現実がセンセーショナルなだけです。

まあ専門家でも曖昧にしか答えられない筈の内容を断言口調で書き並べられてるブログがあったらそうなりますね

どのケースにおいても、情報源を明確にして、そこから言及できるもの、計算したものを挙げていました。誤った引用については、その都度訂正し、また訂正箇所が分かるように残してもいました。誰もが自由に“意見”を述べることができますが、“事実”については、かねて誤っているなら具体的に指摘してほしいと申し上げていましたし、正当な指摘に対して修正していないものはないと考えています。

あなたはリスクを過大に評価する側なら正しくなくても問題ではないとでも考えてたのでしょうが

すべてがそうなっているわけではありませんが、行政というものは防御的に考えるものです。ほとんどの地域では地震なんか起きないのだから防災対策などしなくても問題はなく、たまたま地震が起きた地域が問題になるだけです。だからといって自治体が防災対策をしないわけではありません。調布の住宅街で道路が陥没しましたが、「因果関係は示されていない」とトンネルを掘り続けるわけにはいきません。

新型コロナについても自粛しなくても大丈夫だろうという姿勢で感染が拡大させてしまうより、自粛して感染を抑え込むことを考えるのは当然のことです。そして、欧米の現状を見れば、それが“結果論”としても正しかったとしか言えません。自粛せずに感染者や死者が増えていたら、それこそ今とは比べ物にならないくらいの大批判を浴びていたことは疑う余地がありません。

もともと、MERSやSARSの経験があった韓国や台湾と違い、日本では感染症対策についてほとんど準備はできていませんでした。高齢者比率が高く、高い医療サービスを提供している日本では医療の余裕もほとんどありませんでした。そうした状況において、専門家会議の方針や行政の対応は合理的以上のものだったと考えています。もっと早く入国制限をかけるべきだったとか、全世帯のマスク配布が本当に必要だったのかという“後出しだから言える改善点”はあるでしょうし、日本以上に対策がうまくいっている国のような法整備はしないのかという点はあります。しかし、“走りながら考えてきた対策”としては敬服に値するといっても過言ではありません。

また、私は、私のブログが行政に影響を与えたのだというおこがましいことは考えていません。そもそも専門家会議の方向性と同じことしか書いていません。その意味では、ブログが多少なりとも社会に影響したというのであれば、私はそれを誇りに思います。逆に、自粛など要らないと言っていた人たちが、いまだに恥ずかしくもなく発言しているのは不思議です。彼らは欧米の状況を知ることができないようなテレビもネットもない世界に暮らしているのでしょうか。当初、検査数と致死率でドイツを挙げて日本の対応を批判していた人もいましたが、今のドイツの感染者数や死者数の推移を見て反省しているのでしょうか。匿名ですから、逃げておしまいなのでしょうけれどね。

来年の春頃にはロックダウンを批判するコラムがいっぱい出るでしょうからじっくり見てください

とても興味深い表現です。日本は“ロックダウン”していないので海外のことかもしれませんが、今でも(これまでにも)自粛や緊急事態宣言に対する批判をしている人はいます。でも「来年の春頃」に何が起きるのでしょう。そして、なぜ「来年の春頃」まで待たないといけないのはなぜでしょう

それは“今”判断すると、感染が再拡大して日本以上の再規制に追い込まれている欧米と比較して、日本は防御的に対策してよかった、という判断になってしまうからです。日本は「GOTO」キャンペーンを行いつつも、「新しい生活様式」で感染を急増させずに持ちこたえているのですが、イギリスは同様のキャンペーンで感染を拡大させてしまい、死者も急増して、まさしく“ロックダウン”(外出規制)しています。フランスやイタリアも同様です。経済を停滞させてもロックダウンが必要なのは医療が間に合っていないという現実があるからです。

ボルソナロ大統領並の思考しかしないトランプ大統領アメリカでは、感染者数は1日10万人を超えています。相対的に致死率が下がっているとはいえ、絶対数は増えています。トランプ大統領が「すぐできる」と言っていたワクチンも、結局選挙前には完成しませんでした。まだ大統領選の結果は分かりませんが、バイデン候補が勝利したら、その尻拭いは大変なものになるでしょう。感染者が増えると抑え込みにくいことは、クオモ知事が強く規制しているニューヨーク州でも、今なお人口当たりの感染者増が東京より多いくらいだということからも分かります。

BCG仮説をはじめ、感染力の地域的な違いについては、否定されているか、あったとしても大差ではないという結論しか得られていません。こんな状況で、対策なんか要らなかった、日本は間違っていた、なんてことを“今”言ってしまうのは愚かです。今は言えないことを来年春頃になったら言えるはずだというのは、「今は起きていない結果」に期待した“結果論”にすぎません。何かが劇的に方向性が変わるとしても、それは今、分かっているものではありません。そんな起きるかどうか分からないものをアテにして批判しようとしているのです。恥を知れ

もっとも、日本もこれから開催日が動かせない東京オリンピックに向けて渡航の規制が解除されていくわけで、十分な水際対策ができるのか、感染者が増えたときに対応できるのか、といった不安がないわけではありません。さらに言えば、さまざまな支援策のザル具合やGOTOそのものの意義を含め、行政に対する批判意見を持たないわけでもありません。しかし、感染対策については、ブログで書いてきたことに問題があるとは考えていません。それでも、ブログは間違っている、ご自分が正しいと自信をお持ちなのであれば、次はちゃんと素性を明かしてコメントしてもらいたいものです。恥ずかしくてできないでしょうけれどね。ちょうどいい音声データがありましたよ。

「鬼滅の刃」と新型コロナ

バカと新型コロナに付ける薬はない、とはよく言ったものです。魘夢によって“幸せな夢”を見せられているのかもしれません。

■記録的な「鬼滅の刃」とニューヨークタイムスの記事

ニューヨークタイムスが "What Pandemic? Japanese Film Draws a Record Flood of Moviegoers"(パンデミックが何? 日本映画が過去最高の観客動員数を記録)という記事で、アニメ映画「鬼滅の刃」が他の国をすべて合わせたよりも多い、最高のオープニングだった("the biggest opening in the world last weekend — more than all other countries combined")と伝えました。

実のところ、この報道はあまり正確ではありません。記事から情報元としてリンクされている Box Office Mojo のデータ(WeybackMachineの記録)は、“各国の1位”を獲得した映画の興行収入であり、しかもアメリカが含まれていません。“週末”(Weekend)の区切り方が各国ごとに違うのですが、ノルウェードイツの国別情報で、同じ週末の Overall Gross を加算し、アメリカの日別データから10月17、18日の分を加算すると、「鬼滅の刃」の数値を超えます。「「鬼滅の刃」が他の国をすべて合わせたよりも多い」は言い過ぎです。

世界には、もっとすごい記録を達成している映画があります。BoxOfficeMojo によれば、10月に中国で公開された「我和我的家郷」(My People, My Homeland)の興収は3.6億ドル(約375億円)です。さらに遡ると8月公開の「八佰」(The Eight Hundred)は4.6億ドル(約480億円)です。今、映画産業が最も好調なのは中国なのではないでしょうか。

もちろん、「鬼滅の刃」が記録的なことは事実です。DEADLINEも日本と中国の好調ぶりを伝えています。決して元通りになったとは言えないものの、日本の映画界を救いつつあることや、タレント声優の出ない劇場アニメがこれほどの人気を獲得していることは、心から喜ばしいと思っています。

■伸び悩む「TENET」

一方、ハリウッド映画として大きく期待されたクリストファー・ノーラン監督の「TENET」ですが、世界的にはまずまずの興収を達成しているものの、肝心のアメリカでの興収が伸び悩んでいるようです。前作「ダンケルク」は日本の興収が1480万ドルなのに対し、アメリカでは1.88億ドルでした。一方の「TENET」ですが、日本ではすでに2300万ドルを超えているのに、アメリカでは5000万ドル程度です。フランスやドイツなどでも前作を超えていますし、“いつも通りのアメリカ”ならば2億ドル以上に伸びていたとしても不思議はありません。

アメリカで興収が伸び悩んだ理由は言うまでもなく新型コロナです。ロサンゼルスやニューヨークでは映画館が空いていません。空いていたとしても、わざわざ新型コロナの感染リスクを負ってまで見に行く人が少ないのです。「鬼滅の刃」がこれほどのヒットになった理由のひとつは、ハリウッドの大作が軒並み上映を延期していたり、動画配信に切り替えたりしているせいでもあります。欧米の感染再拡大で、世界第2位の映画館チェーンであるシネワールドはアメリカとイギリスで営業の停止を決めました。

アメリカでの感染者数はかつてないほど増えています。このところはヨーロッパでも感染者が増えて再規制がはじまっています。イギリスやドイツ、フランスでは映画館が閉鎖されようとしています。一方、日本はなんとか感染者増を抑え込んでいます。「鬼滅の刃」以上のヒットを生み出している中国では、人口14億をかかえつつ日々の新規感染者はせいぜい2桁です。何度も繰り返してきましたが「経済か、自粛か」の選択ではありません。「自粛して感染者を抑え込むことが、経済再生の道」なのです。

■ヨーロッパの再規制と医療体制

感染が再拡大しているヨーロッパで再規制がはじまっています。スウェーデンをみて、もう放置しても大丈夫だろう、という判断はしていないわけです。スウェーデンがニューヨークほど酷くならなかった理由としては「人口密度が高くない」「単身世帯が多く、もともと生活が密でない」といった理由が推測されています。たとえば、人口密度がそれなりに高いであろう首都ストックホルムではヨーロッパで人口当たりの死者数を出しているベルギー並の死者が出ています。そもそも“集団免疫を獲得”といっていたスウェーデンは、このところ感染者が急増しています。彼らが言う集団免疫とはいったい何だったのでしょうか

 

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スウェーデンの新規感染者推移

ヨーロッパでの再規制が始まろうとしているのは、主に医療崩壊のリスクがあるからです。決して「経済をどんなに犠牲にしてでも一人たりとも感染者を出してはいけない」と考えているのではありません。しかし、医療に余裕がなくなり命の選別が必要なほどに医療体制がひっ迫することは問題なのです。「死にそうな人は助けない」という国民的合意のあるスウェーデンとは違います。そして、日本はもとから医療体制に余裕がない国です。欧米の非常事態は、日本の平時です。医療に対する支援はとっととやるべきだと思いますが、医療従事者の人数は簡単には増えません。

■重症化と新しい生活様式

重症化率や致死率は下がっています。忽那賢志氏のブログ「マスクが新型コロナの「重症化」を防ぐという仮説と、その後の議論や新たなエビデンス」には、マスクによって重症化が防がれているという研究が紹介されています。当たり前のことですがウイルス1つで感染するわけではなく、感染に至る“曝露量”というものがあります。ウイルスの曝露量が多ければ重症化し、少なければ軽症ですむ、というのは理に適う話です。今、日本ではほとんどの人がマスクや手洗いを含め「新しい生活様式」に沿うようになりました。そのせいで感染がさほど広がらず、感染したとしても重症化を免れている、ということは十分に説明できます。しかし、その現状をもって「放置しても重症化しなくなった」ということにはなりません。忽那氏も「現時点で根拠が十分ではない仮説を過信するあまり感染対策が不十分になること」という警告を紹介しています。

先週の「クローズアップ現代+」では、新型コロナの後遺症に悩む人たちが紹介されていました。かつて「重症化して人工呼吸器や人工心肺による措置がなされるようなことになれば後遺症に悩まされるおそれがある」と書いたことに文句を付けられたこともありましたが、そもそも番組で紹介されていた人たちは重症化すらしていません。軽症という診断であるにもかかわらず、長期間の後遺症に悩まされ、仕事まで失う人までいたという報道でした。

■インフルエンザ

もちろん、放置してもたいして感染が広がらないなら「ごく一部の人たちだけのこと」で済む話です。しかし、放置せずに「新しい生活様式」で感染を防ごうとしている現状ですら、日々数百人、悪い時には千人を超える新規感染者がいます。これだけの対策をしていることで、インフルエンザの感染者はほとんど増えていないのに、ということです。

新型コロナ インフル(今年) インフル(去年)
~9/6 4155 3 3813
~9/13 3799 4 5738
~9/20 3439 4 5716
~9/27 3033 7 4543
~10/4 3649 7 4889
~10/11 3573 17 4421
~10/18 3744 20 3550
~10/25 3878 30 3953

新型コロナが難しいのは、発症していないのに感染性があることです。症状が出たら引き込もる、というだけでは防ぎきれないのです。当分の間、「新しい生活様式」が必要なことに変わりはありません。

「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」にツッコんでみる

以下では、「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」のテレビシリーズ、劇場版双方の【重大なネタバレ】を含んでいます。また、原作小説は読んでいません。あらかじめ、ご了承ください。

一応お断りしておくと、基本的には良作だと思っています。実のところ、ヴァイオレットの天然っぷりが性に合わないとか色々あるのですが、テレビシリーズのエピソードを絶妙に劇場版につながっていて、それをもってテレビシリーズを知らない初見の人にも、おおまかな設定が理解できるようになっているのだと、先日気付きました。ただ、「感動作」といわれる本編よりも、事件以降、京都アニメーションが前に進むため、全員でヴァイオレットに取り組んできたこと。そして、遅れてようやく上映にこぎつけられそうというところでの新型コロナという不運に見舞われ、京都アニメーションのどの作品よりも時間をかけることになったという経緯こそ、心穏やかには鑑賞できないという面があります。しかし、この「劇場版」、どうにも気になるところがあるので、ちょっと書き残しておこうと思います。










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VioletEvergarden










気になるところと言っても、おばあちゃんの大事な手紙を風に飛ばしてぼーっとしてるなよとか、ヴァイオレットは郵便社に入った頃におそらく14歳だったというなら、戦争当時はそれより若かったわけで、そんな子供に愛を語るとか少佐は普通にロリコンなんじゃないかとか、ユリスからの依頼が郵便社を通していないなら闇営業になるんじゃないかとか、そもそもあの義手の謎技術をヴァイオレットが使えて少佐は使えなかったのはなぜかとか、そういうことではありません。まあ、ロリコン疑惑はテレビシリーズに心からのめりこめない一因ではあったのですが、そこは今回の本題ではありません。

劇場版の冒頭で亡くなっているデイジーのおばあちゃん(アン・マグノリア)は、テレビシリーズ10話に出てきた子供です。アンが8歳になる前に母親(デイジーの曾祖母、クラーラ・マグノリア)が若くして病死するけれど、その死後50年にわたって誕生日に渡す手紙を書き残す、というのが10話のあらすじです。すべての中でも最高のエピソードで、劇場版にうまくつながれていましたが、つまりアンは8歳から57歳まで手紙を受け取っているわけです。

10話のエンディングでは、アンは18歳のときに告白されたらしく、さらに20歳のときに子供ができたことが示されています。この子供がデイジー母(名前は不明)でしょう。兄弟姉妹がいた描写はないですし、アンとデイジー母だけで仲良く写真に収まっていますから、デイジー母は一人っ子だったと思われます。デイジーも一人っ子のようですが、さて、デイジー母は何歳でデイジーを生んだのでしょうか。ヴァイオレットの時代とデイジーの時代で何年ほどの差があるか分からないのですが、およそ60年という考察を見かけました。どこかで言及されているのでしょうか。もし、そうだとすると、アンが8歳(以下)というのがヴァイオレットの時代ですから、アンが68歳になっているのがデイジーの時代です。そうなるとデイジー母は48歳、デイジーが何歳か分からないですが、20歳だとすると11年前(つまり9歳のとき)までは、アンは手紙を受け取っていたことになります。

アンは、デイジー母(およびデイジー父)には手紙のことを話していたわけですが、デイジーには話をしなかったのでしょうか。デイジーは、おばちゃんが死んだときに手紙のことを初めて知った、みたいな流れになっていましたが、9歳くらいだと物心がつくどころではなく色々覚えているものです。少しくらい年齢はずれるかもしれませんが、この時代背景で30歳を超えた高齢出産ということもなさそうな気がします。それこそヴァイオレットとデイジーの年代差がもっと少なければ、つい最近まで手紙が届いていたはずです。「すぐに誰もいなくなったら、おばあちゃんかわいそう」と言うほど、おばあちゃんっ子っぽい描写があるのに、なんで今まで知らされていなかったのか、という気になります。

そもそも50年間手紙を送り続けていたC.H郵便社は、いつドール(代筆業)をやめたのでしょう。代筆業をやめても、引き継いだ会社が義務として手紙を送り続けたということはあるかもしれませんが、ヴァイオレットが18歳でライデンを去った頃から高々60年程度しか経っていないのなら「当時の人はこの世に誰も残っていない」という状況ではなさそうです。なにしろ博物館で案内していた人は、ヴァイオレットが郵便社に来た時(1話、ヴァイオレットは14歳くらい)に受付をしていた人(ネリネ)です。デイジーが最後に立ち寄った郵便局も「昔はドールが……」と語っていましたが、そもそもヴァイオレットは亡くなっていて当然のような昔の人、ということはなさそうです。少佐とヴァイオレットの間に子供はできなかったのか、というのも気になります。もちろん、あの場に年を取ったヴァイオレットが出てきたら興醒めでしょうけれど。

2020/11/22追記
2020/11/12に「スタッフトーク付き上映会」に参加することができ、その際に何度か「60年後」という言葉が聞かれました。ヴァイオレットの時代とデイジーの時代は60年の差があるというのが公式設定のようです。

2020/11/26追記
10回鑑賞記念で、もう少しツッコんでおきます。
エカルテ島で迎えた朝、平和な島のようすが描写されていますが、その中に小さな赤ん坊を背負ったお母さんがいます。年よりと女と子供を残して男は皆戦争から帰ってこなかったのなら、その子のお父さんは誰?
エカルテ島で嵐の夜に帰ろうとするヴァイオレットは「朝にならないと船も出ない」と言われます。ということは朝には船が出るのに、ヴァイオレットたちが帰るために乗った船は夕方の出発。前夜は一刻も早く帰ろうとしていたはずなのに、結局、観光してたってことですかね。そもそも宿もない島に、1日2便(以上)も、あんな大きな船が立ち寄るんですね。
そして、ヴァイオレットたちの乗った船が出発した後に登場するディートフリート大佐。あの時間より遅い時間にも帰る船があるんでしょうか。それともギルベルトの家に泊めてもらうつもりだったのでしょうか。でも、船から戻ってきたヴァイオレットが泊まるなら、完全にお邪魔虫ですよね。

新型コロナ:インフルエンザとの比較、現状

WHOがパンデミック宣言を出してから半年以上が過ぎ、感染者数は3500万人、死者数は100万人を超えました。これだけでもインフルエンザと同列扱いできないことは明らかですが、これらはあくまでも確認されている人数です。WHOは「世界人口の1割が感染」と報告しており、残りの人たちは依然感染のリスクにさらされています。新型コロナに関する情報については、忽那賢志医師が様々な情報を丁寧に解説されているので、そちらを読んでもらえばよいでしょう。

ほとんどの人は、もうここには来ていないでしょうが、「新型コロナ: 「インフルエンザでも人は死ぬ」との比較」を批判して、「インフルエンザと同じようなものだ」と無責任に書き散らかしていた人たちは、深く反省してもらいたいものです。いまなお現実を直視せず、インフルエンザと同じ対応でいいと言っている人もいるようですが、目をあけながら寝言を言っているようなものですね。バカの相手をする暇がないわけではないのですが、その対応に無駄な労力を割く気力はわきません。

もし、何年も前にこの未来、つまり現状が予測できたとしたら、感染対策のための施設を用意したり、医療や検査の体制を準備しておくことはできたでしょう。しかし、韓国や台湾と違ってそうした準備はできていませんでした。災害に対する準備とは、平時では無駄そのものです。日本は無駄を省けとばかり“効率化”を進めてきました。昨年の今ごろは使われていない地域医療を統合しようとさえしていました

実際の日本は、ウイルスへの準備がない中で対策を進めなければなりませんでした。新型コロナに対しては、これまで「イベントの自粛要請」「学校の一斉休校」「不要不急の外出自粛要請」「帰国・入国の制限」「緊急事態宣言(7都府県→全国)」「3密回避など新しい生活様式」「マスク全世帯配布」といった、さまざまな対策がなされてきました。もし、半年前に半年先の未来を予知できたとしたら、人々はどういう選択を好んだでしょうか。どこか他に「日本が見習うべきだった国」があったでしょうか。

感染対策を日本以上にうまくやってきた国には、台湾、韓国、中国、ニュージーランドなどがあります。これらの国は罰則付きの規制をかけて対策してきました。先日見たテレビでは、中国で3密回避すらせずに観光地がにぎわっているようすが放送されていました。それを見て日本も対策が必要ないと言っている人も見かけるのですが、これらの国ではクラスターが発生すれば、発生した地域を封鎖するという対策を取っています。感染とは確率であり、3密回避をはじめとする「新たな生活様式」は確率を下げる行動に他なりません。あらかじめ感染者数を減らしておくことと、メリハリのある対応で効率的に感染対策しているということです。

しかし、“自由を重んじる日本”では、そうした罰則規定を設けようという話は成立しそうにありません。緊急事態宣言も延長した期間を少しばかり早めに切り上げることになりました。上記の国ほどには感染を抑え込まず、緩い対策を維持しているせいで、効率の悪い対策を続けているという状況です。私は同調圧力に頼ったり、自警団なんかに出しゃばらせることなく、ちゃんと規制する方が“平等”だと思うのですが、人々はそういう厳しい規制を望んではいないようです。であれば“これが精いっぱい”としか言えません。

一方、他の欧米諸国を真似た方がよかったという話にはならないでしょう。たとえば、ノーガード戦法だったスウェーデンは日本人口への単純換算で7万人死亡しました。“それが分かっていて”真似ようと思う人はわずかでしょう。そもそも日本は有効性が実証されている子宮頸がんなどのワクチンですら、小さな副作用のせいで接種が進まない国です。「少しばかり感染リスクがあってもかまわない」という考え方に社会的合意が得られるとは思えません。ところでスウェーデンは、死者数が落ち着いたとはいえ、最近1週間の感染者数は2283人(日本人口への単純換算で2.7万人)も増えています。さらに、このところは増加傾向にあります。集団免疫を獲得したという話は何だったのでしょうね。

規制を解除したせいで感染が再拡大しているフランスやスペインでは、感染地域での再規制がはじまっています。イギリスも再規制している地域があります。先進国で「経済をまわすためには対策なんかしなくてよい」と思っているのは少数派です。その筆頭であるアメリカでは大統領が感染して行政が滞りました。当人が他人への感染リスクをものともせず3日で退院したのは驚きです。ブラジルと仲良くできそうですけれどね。

さて、インフルエンザの時期に入りつつある今、新たな情報を参考にできます。厚生労働省の「インフルエンザに関する報道発表資料 2020/2021シーズン」を見ると、インフルエンザの感染者数は次のようになっています。

2019年 2020年
1 3,813 3
2 5,738 4
3 5,716 4
4 4,543 7
5 4,889 7

まだ、本格的な感染時期ではないものの、新型コロナもインフルエンザも飛沫感染するものであり、新型コロナへの感染対策はインフルエンザにも効果があるでしょう。昨年同時期と比べると、インフルエンザの感染者数は3~4桁もの違いがあります。新型コロナとインフルエンザの感染リスクの比較は、今年の感染者数でこそ正当に比較できます。もし、たいした感染対策を取らずに(昨年のように)インフルエンザの感染者数が何十倍、何百倍にもなるというのであれば、新型コロナの感染者数も同じように桁違いに増える可能性がある、ということになります。“今、確認されている人数が少ない”ことは対策を取らずに少ない人数で済んでいた、ということにはなりません。それとも「感染対策など意味はない」という人は、今年も去年と同じくらいインフルエンザの感染者数が増えると主張するのでしょうか。

10月8日からは韓国との間でビジネス目的の渡航が再開します。もし、「インフルエンザと同じ」扱いをしていて感染の蔓延を防いでいなかったら、そうしたことも先送りされていたでしょう。常識のある人ならこういう説明も要らないと思いますし、逆に常識を持たず結論ありきで理屈をこじつける人には、まともな説明をしたところで聞いてはもらえないのでしょう。バカの相手をする暇はあっても、馬の耳に念仏を唱えたり、糠に釘を打ったりする気にはなかなかなりません。

※2020/10/9追記。インフルエンザ感染者数(第5週)の数値を追加しました。

オルタナティブブログのコメントについて

14年前に参加したオルタナティブブログですが、今月からコメント機能が無効化され、過去のコメントについても非表示という対応になりました。私にとっては突然の出来事だったのですが、それは運営の情報交換を見ていなかったためで、半年ほど前にGDPRへの配慮などを含め検討&決定されていたようです。事情が事情だけに私のブログのみ個別対応していただくこともできません。

とはいえ、6月末まで新型コロナについて活発なコメントの投稿があり、中にはさまざまな調査結果を報告いただいていたものがあり、非表示になったままということは避けたいと考えました。そこで、とりあえず今年の投稿分について「はてなブログ」にコピーしました。「はてなブログ」ではアカウントの登録は必要ですが、コメントもできます。また、各ブログの過去のコメントは archive.org から抜き出し、個人のサイトに抜き出しました。archive.org に残っていなかった分については管理画面から抜き出して追加しています。それぞれのトピックの冒頭に過去コメントへのリンクが掲載されています。

管理画面から抜き出したコメントについては、投稿日のみで時間が記載されておらず、URLがリンク化されていません。個人的な都合で申し訳ありませんが、明日からしばらく出張するため「今はこれが精いっぱい」ということでご了承ください。