「鬼滅の刃」と新型コロナ

バカと新型コロナに付ける薬はない、とはよく言ったものです。魘夢によって“幸せな夢”を見せられているのかもしれません。

■記録的な「鬼滅の刃」とニューヨークタイムスの記事

ニューヨークタイムスが "What Pandemic? Japanese Film Draws a Record Flood of Moviegoers"(パンデミックが何? 日本映画が過去最高の観客動員数を記録)という記事で、アニメ映画「鬼滅の刃」が他の国をすべて合わせたよりも多い、最高のオープニングだった("the biggest opening in the world last weekend — more than all other countries combined")と伝えました。

実のところ、この報道はあまり正確ではありません。記事から情報元としてリンクされている Box Office Mojo のデータ(WeybackMachineの記録)は、“各国の1位”を獲得した映画の興行収入であり、しかもアメリカが含まれていません。“週末”(Weekend)の区切り方が各国ごとに違うのですが、ノルウェードイツの国別情報で、同じ週末の Overall Gross を加算し、アメリカの日別データから10月17、18日の分を加算すると、「鬼滅の刃」の数値を超えます。「「鬼滅の刃」が他の国をすべて合わせたよりも多い」は言い過ぎです。

世界には、もっとすごい記録を達成している映画があります。BoxOfficeMojo によれば、10月に中国で公開された「我和我的家郷」(My People, My Homeland)の興収は3.6億ドル(約375億円)です。さらに遡ると8月公開の「八佰」(The Eight Hundred)は4.6億ドル(約480億円)です。今、映画産業が最も好調なのは中国なのではないでしょうか。

もちろん、「鬼滅の刃」が記録的なことは事実です。DEADLINEも日本と中国の好調ぶりを伝えています。決して元通りになったとは言えないものの、日本の映画界を救いつつあることや、タレント声優の出ない劇場アニメがこれほどの人気を獲得していることは、心から喜ばしいと思っています。

■伸び悩む「TENET」

一方、ハリウッド映画として大きく期待されたクリストファー・ノーラン監督の「TENET」ですが、世界的にはまずまずの興収を達成しているものの、肝心のアメリカでの興収が伸び悩んでいるようです。前作「ダンケルク」は日本の興収が1480万ドルなのに対し、アメリカでは1.88億ドルでした。一方の「TENET」ですが、日本ではすでに2300万ドルを超えているのに、アメリカでは5000万ドル程度です。フランスやドイツなどでも前作を超えていますし、“いつも通りのアメリカ”ならば2億ドル以上に伸びていたとしても不思議はありません。

アメリカで興収が伸び悩んだ理由は言うまでもなく新型コロナです。ロサンゼルスやニューヨークでは映画館が空いていません。空いていたとしても、わざわざ新型コロナの感染リスクを負ってまで見に行く人が少ないのです。「鬼滅の刃」がこれほどのヒットになった理由のひとつは、ハリウッドの大作が軒並み上映を延期していたり、動画配信に切り替えたりしているせいでもあります。欧米の感染再拡大で、世界第2位の映画館チェーンであるシネワールドはアメリカとイギリスで営業の停止を決めました。

アメリカでの感染者数はかつてないほど増えています。このところはヨーロッパでも感染者が増えて再規制がはじまっています。イギリスやドイツ、フランスでは映画館が閉鎖されようとしています。一方、日本はなんとか感染者増を抑え込んでいます。「鬼滅の刃」以上のヒットを生み出している中国では、人口14億をかかえつつ日々の新規感染者はせいぜい2桁です。何度も繰り返してきましたが「経済か、自粛か」の選択ではありません。「自粛して感染者を抑え込むことが、経済再生の道」なのです。

■ヨーロッパの再規制と医療体制

感染が再拡大しているヨーロッパで再規制がはじまっています。スウェーデンをみて、もう放置しても大丈夫だろう、という判断はしていないわけです。スウェーデンがニューヨークほど酷くならなかった理由としては「人口密度が高くない」「単身世帯が多く、もともと生活が密でない」といった理由が推測されています。たとえば、人口密度がそれなりに高いであろう首都ストックホルムではヨーロッパで人口当たりの死者数を出しているベルギー並の死者が出ています。そもそも“集団免疫を獲得”といっていたスウェーデンは、このところ感染者が急増しています。彼らが言う集団免疫とはいったい何だったのでしょうか

 

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スウェーデンの新規感染者推移

ヨーロッパでの再規制が始まろうとしているのは、主に医療崩壊のリスクがあるからです。決して「経済をどんなに犠牲にしてでも一人たりとも感染者を出してはいけない」と考えているのではありません。しかし、医療に余裕がなくなり命の選別が必要なほどに医療体制がひっ迫することは問題なのです。「死にそうな人は助けない」という国民的合意のあるスウェーデンとは違います。そして、日本はもとから医療体制に余裕がない国です。欧米の非常事態は、日本の平時です。医療に対する支援はとっととやるべきだと思いますが、医療従事者の人数は簡単には増えません。

■重症化と新しい生活様式

重症化率や致死率は下がっています。忽那賢志氏のブログ「マスクが新型コロナの「重症化」を防ぐという仮説と、その後の議論や新たなエビデンス」には、マスクによって重症化が防がれているという研究が紹介されています。当たり前のことですがウイルス1つで感染するわけではなく、感染に至る“曝露量”というものがあります。ウイルスの曝露量が多ければ重症化し、少なければ軽症ですむ、というのは理に適う話です。今、日本ではほとんどの人がマスクや手洗いを含め「新しい生活様式」に沿うようになりました。そのせいで感染がさほど広がらず、感染したとしても重症化を免れている、ということは十分に説明できます。しかし、その現状をもって「放置しても重症化しなくなった」ということにはなりません。忽那氏も「現時点で根拠が十分ではない仮説を過信するあまり感染対策が不十分になること」という警告を紹介しています。

先週の「クローズアップ現代+」では、新型コロナの後遺症に悩む人たちが紹介されていました。かつて「重症化して人工呼吸器や人工心肺による措置がなされるようなことになれば後遺症に悩まされるおそれがある」と書いたことに文句を付けられたこともありましたが、そもそも番組で紹介されていた人たちは重症化すらしていません。軽症という診断であるにもかかわらず、長期間の後遺症に悩まされ、仕事まで失う人までいたという報道でした。

■インフルエンザ

もちろん、放置してもたいして感染が広がらないなら「ごく一部の人たちだけのこと」で済む話です。しかし、放置せずに「新しい生活様式」で感染を防ごうとしている現状ですら、日々数百人、悪い時には千人を超える新規感染者がいます。これだけの対策をしていることで、インフルエンザの感染者はほとんど増えていないのに、ということです。

新型コロナ インフル(今年) インフル(去年)
~9/6 4155 3 3813
~9/13 3799 4 5738
~9/20 3439 4 5716
~9/27 3033 7 4543
~10/4 3649 7 4889
~10/11 3573 17 4421
~10/18 3744 20 3550
~10/25 3878 30 3953

新型コロナが難しいのは、発症していないのに感染性があることです。症状が出たら引き込もる、というだけでは防ぎきれないのです。当分の間、「新しい生活様式」が必要なことに変わりはありません。