「曖昧な基準は問題か」の補足


前エントリに対して、はてブtwitter で色々コメントをいただいたので補足しておく。

表現規制を肯定するか

ゾーニングも“規制”の一種として考える場合、「一切の表現規制はまかりならん」とは私は思っていない。それは、「一切の表現規制はまかりならん」という人が、そのような意見を持つことを否定するわけではない。誰がどんな意見でもかまわないが、私が同意するかどうかは別のことだ。

フェアユースとの対比

フェアユースと対比した件について、著作権法では違法な範囲は明確であり、フェアユースの曖昧さはその中の適法の範囲に限られているものだという指摘があった。そのとおり。法律で“違法”と規定されていないことは違法ではない。だが、形式的には違法な範囲は非常に広い。現に、「極論すれば日本では一億総著作権侵害者だ」などと言う人も出てくるくらいだ*1。そのように“形式的に違法”なものを“公正な使用”の範囲であれば適法とするのがフェアユースだ。だが、その境界が“事前”に明確になるわけではないし、前に書いた通り裁判してみなければわからない。

前エントリで映倫の例を出したが、刑法が罰するのは「わいせつ物頒布罪」は「わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者」である。ここで「わいせつな文書、図画」が具体的に規定されているわけではない。「こいつの顔はわいせつだな」と言われる人の写真を頒布して「わいせつ物頒布罪」になることは「現実にはない」が、それでも「わいせつ物」の範囲が明確化されているわけではない。わざわざ例を出しているのだから、それくらい読み取ってほしいと思うのだが。

明確化されていないことを“緩く解釈”する方が都合がよい人や組織にとっては、極限まで緩く解釈するかもしれない。だが、そのような解釈がいつも許されるわけではない。ネット上での誹謗中傷を取り締まろうとする場合、「違法の範囲を明確にするため明文で規定された表現だけを規制すべきだ」とは私は思わない。また、実効性を持たせようとしつつ「規制範囲を明確化しろ」と言えば言うほど“好ましくない方向に”明確化されていくのではないだろうか。

有害図書制度の選定

有害図書制度に関して言えば、候補図書は都職員が選定するが(都民の垂れ込みもあるようだけど)、指定は審査会という都民の代表が行うことを改めて書いとく。都議=住民の代弁者。
b:id:irukanoirutaro:20101224

だそうです。

どう反対すべきか

前にも書いた通り、私は改定案に賛成していない*2。あくまで反対理由の中におかしなものがあると思っているのだ。改定作業がこっそり進められていたのであれば、それは問題だろう。そもそも改定が必要だというのであれば、東京都は「現在の条例で規制できないが、改定してでも規制すべきだと考えている具体的な作品」を示すべきだ。猪瀬副知事がテレビで示した“実例”は、現条例で規制済みのものであったとも聞く。もしそうなら、改定する必要性は示されていないことになる。

アニメフェアの出展拒否は効果があるかもしれないし、フェアは中止に追い込まれるかもしれない。それは、東京都や石原都知事、あるいは規制推進派にダメージがあるだろうか。改定案には反対なのだが、どうも反対派の行動には賛成しかねる状況なのである。

*1:そう言っている人も「日本では著作権侵害で訴えられたら誰もが有罪と認定される状態にある」と思っているわけではないだろう。

*2:積極的に調べていたわけでもなかったが。