「先生、バナナは電子書籍に入りますか?」

まとまりのないエントリになってしまいましたが、とりあえずタイトルは冗談です、念のため。

閑話休題

浅倉卓司氏が『創』から引用しつつ、電子書籍の分野や形態について取り上げている。以前のエントリにも書いたとおり、ただ既存の印刷物を“そのまま”電子化しただけのものを電子書籍と呼ぶのは視野が狭いと思う。では、電子書籍の定義をどこまで広げればよいだろうか。

これも以前取り上げたが、インプレスR&Dによる「電子書籍市場」はパソコン向けと携帯向けに分かれている(市場は合計500億円弱)。携帯用の書籍は、印刷物としての書籍をそのまま携帯で読めるようにしたものだけでなく、携帯に合わせて書かれたり作られたりしている。携帯コミックなんて、場面によって携帯が振動するらしい*1。また、電子辞書にも出版社が提供する辞書データが使われているし、その市場規模は400億円だ。出版社が受け取るロイヤリティはずっと少ないだろうけれど、辞書を“そのまま”電子化したところで使い物になる気がしないから、ちゃんと利便性を考えて電子化されているのだ。浅倉氏が『創』から引用している地図からカーナビや携帯ナビだって、“印刷物の代替”として使われていることに違いはない。

また、先のエントリに挙げたDSソフトはどうか。「DS文学全集」(26万本出荷)や「ハーレクインセレクション」(本日発売)は電子書籍とみなしてよいだろう(どう見ても本の代替)。「地球の歩き方DS」はどうか。印刷物とは違うが、地球の歩き方編集室が協力し、DSという“デバイスに合わせた”コンテンツになっているようだ。先に挙げた「DSお料理ナビ」はどうだろう(100万本出荷)。これも印刷物と違って静止した画面で構成されているわけではないが、料理本で知られる辻学園が監修しているものだし、DSというデバイスに合わせて作られているだけだ。料理本の代わりに「DSお料理ナビ」を買うというケースも多いだろう。では、800万本出荷した「レイトン教授」シリーズはどうか。これを“電子書籍”というには無理がありそうだが、メインは謎解きであり、それを監修しているのは『頭の体操』シリーズで知られる多湖輝氏だ。「ゲームソフトを入れてはいけないだろう」というなかれ、そのものズバリの『多湖輝の頭の体操』というソフトのレビューを見ると「ただのデジタル書籍」と評価されていたりもする。

結局、あれも、これも電子書籍の類と言っていると、それはそれで視野が広がりすぎるのかもしれない。少なくとも“出版社”の領域はやや外れそうだ。となると、あくまで印刷物を“そのまま”電子化したものだけを電子書籍と呼ぶのも悪くはないというところか。しかし、“デバイスに合わせたコンテンツ”を除外していったら、柔軟性のないコンテンツだけが残るわけだから、この意味での「電子書籍」は広がらないんじゃないか、という気もする。まあ、少なくともグーグルの電子書籍参入について、報道によれば「複数の大手出版社が前向きになっている」そうだから、「やっぱり消極的じゃないじゃん」とは思うのだが、すでに電子書籍を扱うサイトがあるわけだから、グーグルだからこそというメリットをどこで打ち出すんだろう。今は、ブック検索から amazon に誘導していたりするけれど、そこにデータ購入を追加するくらいなのかな。

*1:その意味で、Kindle は既存の書籍に“デバイスに合わせる”ことを求めない典型的なツールだと言える