「ネットリテラシ読本」を dis ってみる

MIAU が「ネットリテラシ読本Ver1.3(全6セクション)」を公開した……ということが全然話題に上っていない気がするのだが、気のせいだろうか。最初のバージョンは、メディアでも紹介されていたし、ブックマークも集めていた。メディアは「新しいこと」しか取り上げてくれないし、ブックマークも一日しか過ぎていない状態ではあるけれど、注目度はかなり下がっているように思う*1。で、その読本に追加されたセクション(著作権に関するセクション5)には、気になる部分がある。まあ、私は MIAU が活動していることはともかく、その方針にはまったく賛同していないので話半分で読んでもらってもかまわないのだが、前振りを含めてつらつら書いてみる。

リテラシ読本については、最初のバージョンから賛否があり、それでも中の人は「現場の評価は高い」と言っていた。でも、最初のセクションを読んでみると、要するに「悪い事をしてはいけません。そういうことは必ず見つかるものです」という感じの話である。校長先生が朝礼で「いいですか、みなさん。イジメは悪いことです。悪いことは必ず見つかるものです」と話して、周りの先生方が「いやあ、校長、いいお話でした」とはやし立てたところで、イジメがなくなるかというと、それは甘いんじゃないかと思ったりする。いや、まあ、読本を配布するだけでネット世界がよくなるなんて期待をしているわけではないだろうけれど。

だいたい「匿名のつもりでもログを見ればわかります」といってみたところで、現実には ISP の協力がなければわからないこともあるし、ISP の姿勢は極限まで消極的であるらしい。実際に裏サイトで悪口を書かれている子供からみたら、空々しいと思うのではないだろうか。そもそも裏サイトに陰口を書くことは匿名だからダメなのではない。現実世界で、本人に向かって正々堂々と弱い者イジメすればいいなんてことはない。「イジメは問題ですか」と聞けば、一人残らず問題だと答えるだろう。だが、いじめている側は遊びがエスカレートしている程度だと思っているし、いじめられている人を助けようとしたら、自分もいじめられる側にまわりかねない、という覚悟が要る。限られたページ数では、そこまで思いつめた話を展開することもないだろうけど、やっぱり「イジメはよくありませんよ」と説く校長先生のような印象は拭えない。

さて本題の追加セクションであるが、セクション5では「著作権」を扱っている。冒頭から「……いろいろな人がネットのあちこちに転載し、どんどん広まっていきます。作品を作る人にとっては、たくさんの人に見たり聞いたりしてもらえるチャンスが大きく増えたと言えるでしょう……」って決めつけてしまうのは一部の人の心情を逆なでしそうな気がするけれど、著作権というものについて触れているのはよいことだと思う。ところが、次のマンガをみて、これはどうかと思った。

2コマ目で「家庭でも好きな歌手のCDはそれぞれが1まいづつ買わないといけない」とあるのだが*2、これって“恐怖”と煽られるようなことだろうか。今は携帯プレーヤーにリッピングするのが当たり前だけど、これはCDから携帯プレーヤーにリッピングできないことを嘆いているんじゃなくて、それぞれが“CD”というメディアを必要としている図だ。たとえばお父さんの部屋にもお母さんの部屋にもCDプレーヤーしかなくて、二人とも同じ趣味だけど別々の部屋で同時に聴きたいと思っているなら(なんだか仲の悪い夫婦だが)、わざわざCD-Rに複製するより、もう一枚買うんじゃないのか。

3コマ目は、これだとタイムシフトだけの問題であって、ダビング10にすら話が進まないし、そもそも民放の場合はリアルタイムで放送される広告が収入源なのだから*3、リアルタイムで見てもらえるなら、そうしてくれよと思われかねない。

4コマ目はひどい。1曲聴くごとに課金されたところで、その料金が極めて安ければ問題ない。napster は、曲ごとではないけれど期間ごとに課金されて、会員をやめると聴けなくなる。だからって1曲ごとに必死に聴くなんてことはない。TechCrunch によれば、(アメリカでは)オンデマンドストリーミングで1曲ごとに0.4〜1セント払うというモデルがあるそうだが、要は利用形態と値段の問題であって「複製できないことは恐怖」と短絡的に結びつけるようなものではない。そもそもジュークボックスって知ってる?とかいう話だ。もし、「1曲何百円とか払って携帯でたった1回しか聴けない」としたら、それは価格設定が恐怖というだけである(現実味がないけれど)。

そして問題5-1だ。

あなたが買ったCD の音楽をコピーしてあげていいのは、だれまでだと思いますか?
□自分だけ
□兄弟姉妹まで
□いっしょに住んでいる家族まで
□特に仲のいい友だちまで
□同じクラスメイトまで
□同じ学校の人たちまで
□同じ国に住んでいる人たちまで
□地球上のすべての人

一瞬、ひっかけ問題なのかと思ったが、そうではなかった。セクション5の指導書で引用されている通り、私的複製はこのように規定されている。

個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる

コピーしてあげる」というのは「使用するものが複製」していない。もっとも変更点を少なく言い換えるなら「コピーさせてあげていいのは」というところだろうか。使う相手が複製しないといけないのだ。別に現実の世界でどうかと言えば、そんなことまで気にされていないだろう。それどころか、コミケがあれだけ大規模に運営されていることを思えば、そもそも日本は著作権でがんじがらめの国ですらない。しかし、教科書を標榜するものが、こういう表現をするのはいかがなものか。そういう“ご意見”を早速昨日送ってみたが、今のところ返事はない

ところで、5-5ページにはわざわざピンク色で囲った「MIAUの意見」がある。これって、なんだか教科書としてのリテラシを感じないのだけれどな。最後にクリエイティブコモンズまで取り上げられているのだけど、もう中の人はちゃんと理解しているだろうか。

というわけで、別に皆が dis る必要はないのだけれど、とくに MIAU を支援しているというような人は(あるいは中の人は)、もう少し話題にしてはどうかと思う。いじめもつらいが(↑いじめているのではなく批判しているつもりだが)、無視されるのはもっとつらいものだ。もっとも、逆に「dis るくらいならお前がやれよ」と言いかねないんだけど、私なら。

*1:これは「定着した」という見方もできるだろうが。

*2:“教科書”で「づつ」と言うな、という話はさておき。

*3:録画再生分も調べて広告費を徴収すべきという空論を聞くつもりはないので。