「紙の書籍でできて、電子書籍でできないこと」に対する反論

紙の書籍でできて、電子書籍でできないこと」には、(久々に^_^;)たくさんアクセスをいただいたので、反論を考えてみようと思う。っつか、グルーポンは興味ないですか、みなさん*1

はてブのコメントに対して

まず、エントリに書かれたコメントにはお返事しているので、はてブでいただいたコメントについてのコメント。

主旨はいいんだがリストアップの内容が弱すぎる。電池、発色、解像度は技術が進めば問題にならなくなるし、割れたらとか会社が潰れたらとか言ってもね。飛び出す絵本って全体の何%?…と言う感じで。一応ツッコミ。
b:id:justgg:20101024

「技術が進めば問題にならなく」←注釈で「現状では」と書いていますよ(他の項目も注釈見てください)。それに「現在は技術が進んでいない」ということですね。でも反論を考えるのは面白いと思っています。
b:id:mohno:20101024 (私のコメント)

そこは自覚してましたが百字内でうまく表現できませんでした。現状Kindleは電池も長く白黒としては紙と僅差。その差も技術の進歩ですぐに消えるといいたかったのです。リストアップなら圧倒的なものがほしいと。
b:id:justgg:20101024

Kindle の画面はたしかに綺麗なものだが、写真やグラフが出てくると、やはり印刷物の方が圧倒的に見やすい。電子インクのカラー技術が早々に大量生産されそうな感じでもない。それに現状では、デバイスが何万円もするものだという点は否定しがたい*2。前エントリにも書いた通り、電子化が進まないと言っているのではない。コミックや辞書など電子化に向いているもので、どんどん電子化が進んでいるのは間違いない。

ただ、リアルの書店に見られる「書籍のバリエーション」を、電子書籍ではカバーしきれないだろうと私には感じられるのだ。それを決定的と感じてもらえるかどうかはわからないのだが。

紙自体が作者の脳の再生装置だという矛盾。 電子書籍が一般的になれば紙が「出力」に変わるだけのこと。写真も印刷しないよ、もう。
b:id:hatenkou001:20101024

持ち歩く必要があるかとか、電池切れしたりするかという問題なので、ちょっと論点ずれ。脳は家に置いておけるものでもないし。

写真を撮る数に比べれば、印刷される比率は減っているかもしれないし、富士フイルムの写真部門の売上げは落ちているようだが、それでもデジタルプリントというサービスは今でもあるし、六つ切とか四つ切で印刷していた頃に比べてフォトブックのようなバリエーションも増えているくらいだ。そもそも写真は“形式の揃っている”側の例ではないだろうか*3デジタルフォトフレームなんてのも、形式が揃っているからこその商品だと思うのだが。写真は、リアルの書店を見て感じる「書籍のバリエーション」には例えられないように思う。

最後の絵画と書籍(絵画の写真)と電子書籍だとまた話が違ってくるかも。残念な事に「美術館に行かなくても写真でいいだろ」って人は今も居る。/書籍には書籍のアウラがあるのかもなあ。
b:id:terazzo:20101024

まあ、“たとえ話”はどこかしら無理が出てくるものではある。

概ね同意だが、紙の印刷はCMYKのドット4点での換算だから、ディスプレイのそれとはまた違う。ディスプレイは1ドットでRGBを表現できる。そういう意味ではRetinaDisplayとかは紙より高精細
b:id:indigoworks:20101024

網膜ディスプレイ(と呼ばれているもの)で“書籍並みの大きさ”を実現しているものは、あまりないんじゃないかと。

「紙の書籍でできて、電子書籍でできないこと」に対する反論

さて、本題である。誤解のないようにお断りしておくが、上記のような批判への反論ではなく、前エントリへの反論である。どのような反論が考えられるだろうかと思って思いついたのがゲームセンターだ。

インベーダーゲームの時代までさかのぼる必要はないだろうが、かなり長い間、ゲームセンター(あるいはゲームコーナー)はアナログなマシンが占拠していた。デジタルなゲーム機が登場しても、かなり長い間アナログなゲーム(とくにピンボール)が置かれていたと記憶している。今では、いわゆる“プライズ”型のゲーム*4があるけれど、その手のものを除けば、デジタルでないものはあまりない。体感型にしても画面がデジタルなものは多いし、一時期はテーブル型のゲーム機が、ゲームセンターを席巻していた。そして、今では“画一的”である仕様の家庭用ゲーム機が高性能化したせいでゲームセンターが寂れてしまうほどだ。つまり、デジタルのゲームが面白ければ、“アナログのバリエーション”の必要性なんて消し飛んでしまうのだ。

その意味で、はてブのコメントで指摘されたとおり、前エントリの“できないこと”は印刷物にとっての“防護壁”にはなるという保証はない。本を読むために費やす時間が、DS のゲームや携帯電話で費やされるようになるのと同じように、電子書籍に面白いコンテンツが集まれば、“書籍のバリエーション”なんて消し飛んでしまう可能性はある。叩いても落としても割れない、なんて、携帯電話でコンテンツ利用している人への説得力はないだろう。タフなデバイスが登場すればよいだけの話だ。体感型ゲームマシンのように、電子コンテンツだってデバイスが固定だと考える必要はない*5

実際、電子手帳やデータディスクマンを思い起こしてみれば、はるか以前から日本人は電子好きだったではないか。今日、電子辞書を無視して辞書の市場を語ることはできないだろう。(iTS ではなく)携帯が音楽配信ビジネスの主役となり、娯楽のバリエーションが増えた今、印刷物の書籍に人々が執着するという根拠は希薄である。いや、書店の中をよく見てみれば、実用書にDVDが付属していたり、書籍コードを付けただけのおもちゃだったりするものもある。紙に固執しているわけではないのだ。だいたい皆が100年も保存できることを喜んでいるなら、ブックオフがこんなに流行っているはずがない。

今後、電子書籍において、どんなブレイクスルーが登場してくるかはわからない。だが、これまでの10年を思えば、今後の10年に何も登場しないと思う方がおかしい。「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」(アラン・ケイ)を思えば、“そんなに伸びない”と保守的に考えることは、単に“私”に電子書籍の未来を発明する能力がないというだけだ。

どうだろう。

それでも私は、10年後に電子書籍が印刷書籍の市場を超えることはない方に賭けたいと思っている。現在、インプレスR&Dが出している「電子書籍市場」の数字と、出版科学研究所の出版統計の数字を比較するのを条件として、10年後には逆転するという方に賭ける人はいるだろうか*6

*1:けっこう手間がかかったんだけど^_^;

*2:amazon がプレミア会員に配ってくれるなら別だけれど。

*3:フィルムカメラ出身の3:2と、パソコンデバイス出身の4:3という違いはあるにせよ。

*4:UFOキャッチャーのようなもの。

*5:ちなみに、うちには "LeapPad" という半電子ブックみたいなものがある。

*6:ところで、私は社会人になる直前の21年前に「ロータスは10年間、単独の会社であり続ける」という賭けに負けて、焼肉をおごらされたことがある。ちなみに、その席で「マイクロソフトは10年間、単独の会社であり続ける」という賭けをした。これは勝ったが、まだ焼肉にはありついていない。