【ネタバレ注意】なぜ『新聞記者』がダメなのか

重要な注意 以下、映画『新聞記者』と『ウォーター・ホース』(←とばっちり)の結末のネタバレを含みます。また、『ニュースルーム』というドラマからも引用します。

Netflixで配信されたドラマ『新聞記者』が話題だ。Netflixの人気ランキングでも上位にいる。ドラマ版は見る気もしないので見ていないが、倉本圭造氏の書かれた記事によれば一部を除いてだいたい同じような流れになっているようだ。私の論評も、その記事に書かれている通りで、まさしく右翼の「日本国紀」、左翼の「新聞記者」という位置づけがふさわしい。『新聞記者』はフィクションであって史実を銘打っている『日本国紀』とは違うという意見もあるようだが、本当にそうだろうか。とくに左派の人たちは『新聞記者』を“丸ごとフィクション”と受け止めているだろうか



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映画『新聞記者』は、原作者の望月記者が現実世界で展開していた陰謀論があたかも事実であるかのように語られていく。天下りの斡旋で辞任した前川喜平氏がまるで“官僚という暗黒世界に立ち向かった正義漢が反発を食らって追い込まれた”ように描写されているのは、それこそ“お仲間”感いっぱいだ。そして、本筋はいわゆる森友学園問題であり“闇に隠された部分”を証言してくれる人が登場する。そして「証言してくれればすべてが明るみになる」という段階になって、脅迫でもされたのか証言できないことになって事実は闇に葬られる、という結末になっている。

劇中の番組で望月記者らが実名で登場する以外、本作の登場人物は架空のものだし、あくまで「実在の事件にインスピレーションを受けたフィクション」である。本来、それ以外に受け取りようがない。しかし、左派(というよりアンチ安倍派)の皆さんはどうだろう。安倍元首相の闇を証言する人物は本当にいたのにもみ消されてしまったから現実世界で報道できなかった、だから本作もフィクション扱いするしかなかった、あれこそが本当にあった出来事なんだ、と思ってはいないだろうか。そして「そう誤解させること」こそが本作(あるいは原作)の狙いなのではないだろうか

ところで、現実の事件報道を扱った傑作に『ニュースルーム』というドラマがある(以前はアマプラで見放題だったが、現在は有料配信)。当たり前のことだが現実世界で暴かれていないようなことがドラマで暴かれるなんてことはないが、これを見ると報道の基礎が分かるようにもなっている。とくに第2話で「あのスタジオは法廷」(第2話)というセリフは報道のあるべき姿を端的に表しているといってよい。たとえ「訴状が届いていないのでコメントできません」というお決まりの文句しか返ってこないとしても、必ず対抗取材をするのは、裁判で原告と被告の両方から話を聞いてから判断することに似ている。たとえ記者の法的責任を問われても取材源を秘匿したり、違法な取材を禁じるといったこともある。その中には「複数の情報源で確認を取ってから報道する」という決まりがある。単一の情報源に頼るとその情報源に騙されたらオシマイだからである。

話を『新聞記者』に戻す。この「予定していた人が証言できなかったから報道できなくなった」という結末は、いくらフィクションでも報道として失格である。その証言に基づいて、きちんと裏付け取材ができていれば、その証言がなくなったとしても報道はできるはずだからだ。そして、この「裏付けができない」ことは現実の望月記者にも重なってくる

さて、唐突に挙げた映画『ウォーター・ホース』(2008年)は、ネス湖ネッシーを扱った作品だ。これもNetflixで配信されている。この作品の冒頭で「これは本当の物語…」(a True tale it is...)というテロップが表示される。ネッシーなんて、今で言うところの“都市伝説”であって、どんな部分が“本当”なんだろうと思ったが、劇中で登場するおじいさんが「若者にネッシーの話を聞かせる」のが“本当”という部分なのだろう。そこで聞かせた話そのものが本当のわけがないからだ。

その意味で『新聞記者』も記者に「森友学園の闇」を語る人物は本当にいたのかもしれない。だが、その話そのものが“本当”である根拠はどこにもない。あるなら現実に報道されているはずだからだ。そして裏付けという報道の基礎を軽視した本作に日本アカデミー賞は最優秀作品賞を与えてしまったのだ。そんなところで選考にかかわる人たちのリテラシーがこんなレベルなのだ。陰謀論が流行るわけだよ。