YouTube は報道機関か?
尖閣諸島漁船衝突事件のビデオ流出
昨日のエントリの発端は、尖閣諸島沖で起きた漁船衝突事件のビデオが報道機関ではなく YouTube に流出したことである。YouTube に流すことを「報道の新たなスタイルだ」とする向きもあるようだ。たとえば、finalvent氏が「どういう法的根拠でグーグルは尖閣ビデオ流出記録を開示するのだろうか」というエントリで、こう書いている。
これは広義に報道であり、投稿者は広義にジャーナリストだろう。
広義が過ぎる、と抗議しておこう。
投稿者はジャーナリストか?
ネットからの反論は出てきそうだが、そもそも匿名のジャーナリストを認めてよいだろうか、ということだ。ここでは、最終的に何らかの形で個人を特定できるハンドル名については匿名とはしない*1。問題は、報道した責任を負うつもりがあるかどうかだ。固定されたハンドル名(いわゆるコテハン)であれば、そのハンドル名で活動する場所で責任を問うことができる。
だが、「sengoku38」は、これに該当しない。社会問題となってから個人が特定されて責任を負わされるかどうかという話にはなったが、たまたまそうなっただけだ。もっと巧妙に細工していれば特定を免れることはできただろうし、そうなれば何の責任も負わないことになる。「今回のビデオは流出させることに意義があった」という人もいるが、投稿者の主観で“意義がある”と思ったら報道になるわけではないし、してはいけない。報道だというなら、“それは報道なんかじゃない”という反論に応えねばならない。
YouTube は報道機関か?
違う。YouTube は動画を配信する場所を提供しているだけで報道機関としての覚悟があるわけではない。ユーザーの違法行為から YouTube を守っているのは「プロバイダー責任制限法」だ。これは「ユーザーの違法行為が通知された場合に、それをやめさせる代わりに、運営者の法的責任を問わない」という仕組みだ。当初、発信者情報の開示を求められて拒否したというニュースが流れて驚いたのだが、それはプロバイダー責任制限法による免責を受けられなくなるおそれがあるためだ。実際には、強制捜査により情報を提供することになった。
もし、YouTube(Google)が発信者の代わりに法的責任を問われる覚悟を持って情報源の秘匿を守ろうとしたなら、報道機関とみなすこともできるが、もちろんそんなことはしない。YouTube が情報提供を拒否したのは、守れる範囲で匿名性を守っておく方がユーザーの味方と印象付けられるというビジネス判断だろう。だが、報道には責任が伴わなければならない。「現実に無責任な報道がある」ということと「無責任でも報道扱いする」ことは違う。そもそも、数多の投稿をそのまま公開する仕組みで、個々の内容に責任を負えるはずがない。
YouTube で流すのはダメで、テレビで流すのはいいのか
著作権法第41条より。
(時事の事件の報道のための利用)
第四十一条 写真、映画、放送その他の方法によつて時事の事件を報道する場合には、当該事件を構成し、又は当該事件の過程において見られ、若しくは聞かれる著作物は、報道の目的上正当な範囲内において、複製し、及び当該事件の報道に伴つて利用することができる。
つまり、報道という目的があれば、著作権の制限を超えて複製したり、利用できることが法的に認められている。そうでなくても、通常なら名誉棄損やプライバシー侵害にあたりそうなものが「知る権利」という名目で報道されている。そこに明確な基準があるわけではないが、少なくとも報道は“特別扱い”されているのだ。
個人やアマチュアのジャーナリストを認めないとか、ネット上での報道を認めないと言っているのではない。そのような特別扱いを“責任を負うつもりのない匿名の誰か”に与えるべきではないのだ。