曖昧な基準は問題か


ネタがないわけではないけど、やはり気持ちを途切れさせるといけないと思う今日この頃。連続してしまうが、ふたたび東京都の青少年条例について考えてみる。

コミック10社会の声明

東京国際アニメフェア2011」への協力・参加を拒否する緊急声明につきまして」という声明が角川の公式サイトで公開されている。例によって、「東京都青少年の健全な育成に関する条例改定案」に反対するものだ。この声明は、反対の意を唱えているのだが、具体的にどうしたいのか分かりにくい面がある。いや、可決したことに異議を唱えていることはわかるのだが、

我々は、東京都が今後、上記付帯決議の精神に則って、作家の表現の自由や出版界の自主的な努力を尊重しつつ、改定条例の慎重な運用を行っていくことを強く求めるものです。

と言ってみたところで、東京都には「慎重に運用しますよ」と言われるだけだと思う。そもそも、

出版界は長年にわたり自主規制として、成年向け雑誌マークを表紙に表示したり、青少年が立ち読みできないよう2ヶ所小口シール止めをし、書店・コンビニでの区分陳列販売の徹底に努めてきました。

のように出版社側は自主規制を認めているのだから、「一切の表現規制はまかりならん」という主張ではない*1。そして、条例改定案について次のように反対している。

漫画家やアニメ制作者からは、改定案が抽象的で曖昧な要件によって創作活動を萎縮させる恐れがあるなどとして、容認できないとの声が次々に上がっています。

つまり、改定案が「抽象的で曖昧な要件」であることを問題視しているようだ。だが、基準が曖昧なことは問題なのだろうか。

基準の明確化と行政の裁量

青少年条例に限らず「恣意的な運用をさせないように基準は明確にすべき」という声を聞くことはある。実際、行政に裁量を認めれば、担当者によって対応が変わってしまう可能性がある。なんとか手当とかなんとか給付金のような場合には、明確な基準が必要だ。時々、「役所に相談したのに、お役所仕事で担当者の人間味が感じられない」などという批判を見聞きすることがある。だが、勝手な裁量が認められていないのが公務員なのだし、まさにお役所仕事をするのが彼らの役割である。対応に問題があるとしたら、それは法律や条例の問題であり、彼らが“親切にしたい”と思って規則を緩めたりはできないし、すべきではない。

しかし、このような表現規制の場合はどうだろう。作品はそれぞれ個別に評価されるものであるし、どのような表現手段が用いられているかによって一律に判断を下せるものではない。「一切の表現規制はまかりならん」という人はともかく、コミック10社会のように規制そのものを否定しているのでないなら、基準を明確にすることは、むしろ表現の範囲を狭めてしまうのではないだろうか。「曖昧な基準は困る」と言って、改定案に「刑罰法規の賛美」という具体的な表現を入れてしまったことは失敗だったのではないだろうか。

『無防備』という映画がある。本物の出産シーンをそのまま撮影したそうだが、無修正で映倫を通ったそうだ*2。もし、「性器が映っていたら(無条件で)ダメ」という“明確な基準”があったら通らなかったはずだ。実際、そのような基準はあっただろうが、作品によって“規制具合”が変わったり、あるいは時代の変化に対応してきている面はあるのだろう。それは、基準をガチガチに固定していないからできることではないだろうか。

陰謀論

行政に裁量を許すと、担当者の恣意でいくらでも“取り締まり”ができてしまうことを問題にする人もいる。だが、そのようなことは現状の法律でもありえることだ。“悪意の公務員がいる”ことと“公務員は悪意を持っている”ことは違う。公務員は常に市民を取り締まろうと考え続けているのだと考えることは陰謀論に過ぎないし、それは受け入れられない。なぜなら、公務員は信頼できる存在であるべきだし、行政はそれを前提にしている。それこそ“民事不介入”の原則とやらで、家庭内暴力児童虐待などにも及び腰であったりするのが現実である。

もちろん“悪意の公務員”がいる可能性は否定できないし、そうした公務員を排除する仕組みも必要だ。だが、行政を“市民を取り締まりたくて仕方がない存在”と位置づけて反対理由とすることは、その反対理由が現実離れしていることを意味してしまう。

明確な基準を公開すべきか

規制を曖昧なままにするといっても、実際には何かしらの運用基準を設けている可能性はある*3。それは広く公開すべきものだろうか。私は、そうは思わない。そのような運用基準が公開されたら(結局、それは基準を明確化することになるが)、基準ギリギリの表現が狙われることになるだろう。ときどき、いわゆる「グーグル八分」で排除基準が明確化でないことが批判される。しかし、排除基準が公開されたら、ギリギリを狙って SEO*4をかけられるだろう。それでは不当な最適化を排除できなくなり、結果として検索エンジンとしての品質が下がってしまう。

そもそも、青少年条例は“未成年向け”の作品*5に対して“問題のある過度な表現”を萎縮させることにある。だが、基準が明確になったら、“問題はあるが過度一歩手前の表現”を萎縮させられない。それでは意味がないのだ。また、基準は時代に合わせて変化するだろうし、ケースバイケースということもあるだろう。基準に引っかかったことを問題視するなら、それは声明を出すとか、裁判などで争えばよいのではないだろうか。

とりあえず「曖昧な基準が問題」だと主張する人は、著作権フェアユース導入にも反対なんだろうけれども。

*1:前回のエントリに書いた通り、そうあるべきでないとも思う。

*2:日本映画史上初!実際の出産シーンが無修正で映倫審査通る! ただし18禁に」(シネマトゥデイ)より。

*3:東京都が条例の他に、どのような基準を持っているのかは知らないが。

*4:検索エンジン最適化。

*5:東京都の立場は、この規制はゾーニングである。