「3×5」と「5×3」問題

リンゴの気持ち

あれは、どちらかっていうと商標問題をこじらせて配信が遅れたっていうより、他のサービスに先行して配信したんだから、純粋にビートルズ側の問題でしょ、という話だと思うのだが、その話ではない*1。皿にのせられたまま、掛け算の可換性だのと議論されているリンゴの話だ。shidho さんまでが「先生あなたはか弱き大人の代弁者なのか。」というエントリで、「少なくともここから「乗算には順番がある」と読み取るのは読み取りすぎだと思うよ。」と否定的な見解にまわっている*2。もう、あんまり触れたくない話題でもあったんだが、なんだか書かずにはいられなくなった。

ささやかな思い出

大学のときに教職課程の授業を取って教員免許を取っておけば、将来何かの役に立つだろう、などという思いが少しあった。今にして思うと、“だろう”程度の意識でなるような先生にロクな奴はいない気もするわけだが、とりあえず、その手の授業に出席していた。25年くらい前の話だ。

その授業で、教育に関して疑問に思うことを挙げてみようとか何か、そういう話があったのだと思う。そのとき、私は、この問題を挙げた。それ以前に新聞で読んだのだと思うが、「掛け算の順序が大事」という話と「掛け算が可換である」ということをどう教えるのか、という話題があった。そりゃそうだ。「3×5」も「5×3」も違いはない。何で片方だけ×(バツ)にするんだということは、ずっと思っていたからだ。

あまり触れたくないと思ったのは、その時の教授が、それを「いいテーマ」だと取り上げてくれたのに、別に教員免許なんてなくたって困らないだろうと思って、その直後から授業に出なくなってしまったからだ。

「5×(かける)3」を×(バツ)にするか

はっきり言って悩ましい。できることなら△にしたいところだが、それは逃げでもあると思う。ただ、「掛け算は可換なんだから、3×5と5×3は同じ。○に決まってるじゃん」という程度で考えているなら、それは“教育”を考えているようには見えないし、先生を馬鹿にするなと思う。

学習指導要領(PDF)」には、こう書かれている。

式を読み取る指導に際しては,例えば,3×4の式から,「プリンが3個ずつ入ったパックが4パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」というような問題をつくることができる。このように具体的な場面と関連付けるようにすることが,さらに,読み取ったことを,○や図を用いたり,具体物を用いたりして表現することが,式を読み取る能力を伸ばすためには大切である。

つまり、「プリンが3個ずつ入ったパックが4パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」という問題から「3×4」を導くのが「式を読み取る指導」だと書かれているのだ。たしかに、順序が大事だと明記されているわけではない。だが、話題になったテストでは文章題からの“立式”で(“答え”とは別に)得点が与えられている。つまり文章題から式を適切に読み取っているのかが問われているのだ。

もちろん、「掛け算が可換」であることは教えるのだから、たとえば「さらが4枚あります。1さらに いちごが10こずつ のっています。いちごは ぜんぶで 何こあるでしょう。」という文章題があるときに、「10×4」と立式した後で、計算しやすいように*3「=4×10」と書いて、答えを「40」とするのであれば、これには迷うことなく○が付けられる。

皿のリンゴに戻ると、「掛け算は可換」だから「5×3」も○でいいだろうという人は、では「3+3+3+3+3」はどうするだろう。例のテストに掛け算を使えとは書いてないし、皿の上に3個ずつのったリンゴを数えるという意味では問題ない。もちろん、「3×5」と「3+3+3+3+3」は等価だ。であれば、○にするしかない。では、「5+5+5」はどうか。もはや5枚の皿の上にのった3個のリンゴという体をなしていない。だが、「5+5+5」は「5×3」とも「3×5」とも等価だ。

式に得点を与えているのは、文章題から式が読み取れているかどうかを判断するためだが、

「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。りんごは ぜんぶで 何こあるでしょう」

の立式として「5+5+5」に○をつけるのだろうか*4

どんな式を書いたにせよ、答えが合っていれば○だ(例のテストでも、答えには○が付いている)。ついでに言えば、こういう問題があるときに「1+2+3+4+5」とか、変な立式をする奴だっているだろう*5。加算の個々の要素を同じだけ増減しても答えは同じだから、もちろん等価だ*6。こんな、ひねくった式を書くような子供は“わかって”書いているわけだが、「5+5+5」と書いた子供はどうだろう。相手は小学生だ。「なんとなく5と3があったから」そう書いてみただけかもしれないし、「わかってますよ、先生」ということかもしれない。だが、理由を聞いて同じ式について〇×判定を変えるわけにもいかないだろう。

ほんとうに、こういう「立式」に得点を与えるべきだろうか。

「しょうとくたいし」は正解か

さらに古い話を思い出した。もうすぐ中学になろうかという頃に読んでいた、ある雑誌にQ&A集が載っていた。「Q.社会の問題で、答えの漢字がわからなかったらどうすればいいですか?」「A.そういうときはひらがなで答えを書いておきましょう。」という項目があった。そのときは、なるほど国語の時間じゃないものな、と思ったのだが、中学になって社会のテストのとき、「答えは漢字で書きなさい。ひらがなはバツにします」と言われた。

皿の上のリンゴの問題についても、「その読み取りを問題にするのは算数じゃなくて国語だろ」という指摘があったようだが、

「十七条憲法を制定した摂政は?」

という社会の問題に対して、「しょうとくたいし」と書いたら○を付けるだろうか、×を付けるだろうか。正しく漢字で書けることは国語の問題で社会の問題じゃない、と言えるだろうか。

議論の相手

現場の先生は、それくらいのことはわかって教えている(はずだ)。だから、「今どきの先生は掛け算が可換なことも知らないのか」というような言い方は、たんなる中傷にしか聞こえない。これは長年議論されてきたことだ*7。それを踏まえないことには、現場の先生方に納得してもらうことはできないと思う。

*1:その話もしたいところではあるのだが。

*2:“ここから読み取るのは”という前提ではあるが。

*3:あくまで例として。

*4:まあ、○を付ける先生もいるかもしれない。

*5:私とか。

*6:「だって、皿の上のリンゴを動かしても、合計は同じでしょ。」

*7:議論が続いたということは、「×にする」で決着していないということでもあるが。