身長の高い人ほど学力も高い

地元で発見された奇妙な相関関係

私の出身地は人口8千人ほどの村だが*1、かつて調査で「身長の高い人ほど学力が高い」ということが判明したことがある。これが示しているのはあくまで「相関関係」である。「身長が高い」から「学力が高い」という因果関係を導くことはできない。因果関係とは「因」(原因)によって「果」(結果)が生じているという関係であり、「身長を高める」という原因を操作できない以上、身長が学力の向上をもたらしたことを調べようがないのである*2

2つの変数があるとき、相関関係を見つけるのは易しい。たとえば、身長と学力という変数を考えたとき、身長と学力のサンプルデータをグラフにプロットすることもできるし、相関係数を計算することもできる*3。だが、そこから因果関係を導くことは難しい。「長寿の沖縄県では、〇〇という食べ物の消費量が高いことがわかりました」という場合、「寿命」と「〇〇という食べ物の消費」に相関関係を見出すことはできるかもしれない。しかし、「〇〇を食べることで長寿になる」という因果関係を示したことにはならない。

一般論として、AとBに相関関係があることがわかっても、「A→B」という因果関係によるものか、「B→A」という因果関係によるものか、あるいはただの偶然なのかはわからない。たとえば、新薬の開発には相当の臨床試験が必要とされる。新薬を投与されるという心理的影響(プラセボ効果)を排除するために、偽薬まで与えて調べるのだ。そんなに簡単に「〇〇を食べることで長寿になる」という因果関係が見つかるなら、新薬を開発するのに苦労はない。

田中辰雄氏のレポート

経済産業研究所所属で、慶應義塾大学経済学部准教授でもある田中辰雄氏が、またしても(酷い)調査レポートを書いている。3年前にも同氏の記事に対する疑問を呈したのだが、ほんとうに田中氏の調査は正しいのだろうか。もう説明しても聞かない人は聞かないので放置しておこうとも思ったが、産経新聞までもが「違法アップロードでDVD売り上げ増?」という記事で取り上げている始末である*4。とりあえず、レポートの本文(PDF)を読めば、その1ページ目に

RIETI ディスカッション・ペーパーは、専門論文の形式でまとめられた研究成果を公開し、活発な議論を喚起することを目的としています。論文に述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

と書いてあるのだから、それくらいは注記してもらいたいものだ。

間違いだらけの「問題の背景」

そもそもレポートが前提とする「問題の背景」が、ネットに跋扈する都市伝説なのだ。順に見ていこう。

日本で検索エンジンビジネスが立ち上がらなかった一因は、検索時のキャッシュの著作権が日本では違法になる点にあった。

この都市伝説がいまだに消え去らないのは不思議でならないのだが、インターネットを黎明期から知っている人にとっては出鱈目以外の何物でもないだろう。wikipedia を見るだけでも、日本でも検索エンジンは作られていたことがわかるし、現に存在していた。そして、かなり早い時期にソフトバンクが出資した Yahoo! Japan は、今でも大きなシェアを持っている。日本にキャッシュサーバーを置いているのは Yahoo! だけではない。

そもそも、この頃は“著作権”が検索エンジンを阻害するなんて話はなかった。むしろネットに公開するものは、検索してほしいがために、当時主流だったディレクトリ型の検索エンジンにこぞって登録したものだ*5Google が成功したのはアメリカにあったからではなく、全文検索ページランクというユニークな仕組みがあったからだ。アメリカでも検索エンジンは山ほど登場したが、ほとんどすべては成功しなかったのだ。

音楽配信ビジネスでも配信自体は同時期にはじめながら、著作権を緩くしたアップルのiTunes が世界を制覇した。

ここにも疑問がある。まず、日本の音楽配信市場は年間900億円ほどで、アメリカの1700億円*6に比べれば少ないが、人口比(あるいはGDP比)を考えれば、むしろ多いくらいだ。また、日本での音楽配信DRMの厳しい携帯電話向けが多く、iTunes Storeのシェアは1割に満たない。iTunes Store は EMI 楽曲については早い時期(2007年5月)から DRM を外したが、4大レーベルの DRM フリー配信を実現したのは amazon MP3 の方が早い(2008年1月)。iTunes Store が包括的な DRM フリー化は1年も後だが、DRM によって iTunes Store のシェアが激減したとは報道されていない。むしろ、ここから導かれる経験則は「DRM は厳しい方がビジネス的に成功する」だろう。

動画配信でも著作権上はグレーのままビジネスを先行させたYouTube が世界の標準の地位を得ている。

ニコニコ動画が世界の標準の地位を得られないのは「著作権」が障害となっているからだというのだろうか。楽天や価格コムの成功が日本に限定されるのは“法律の問題”なのだろうか。世界展開するディズニーやユナイテッドメディアは、日本のコンテンツ会社よりも著作権に対する姿勢が緩いだろうか。

因果関係は示されているか

さて、田中氏の研究の中身はどうなっているのだろう。レポートの4ページ目から研究対象の「データ」が示されている。詳しくは各自で読んでもらいたいところだが、簡単に言えばここでは観測しかしていない。たとえば、「YouTube で動画を見た」人が「DVD を買う(借りる)」という行動につながっているというアンケート調査などがあるわけではない。観測しているのは「あまり削除されていないアニメ」と「よく削除されるアニメ」である。当たり前だが、それぞれは違うアニメだ。常識的に考えて、アニメがどれだけ視聴されるか、レンタルされるか、買ってもらえるかということは、その内容に大きく依存する。だが、違うものを並べて比較しているのだ。

そんな心配をよそに、13ページ目の「推定モデルと属性変数」からは「DVD 売上(sale)、レンタル回数(rental)、YouTube ファイル交換数(Ytube)、Winny ダウンロード数(Winny)」を比較しはじめる。いつからYouTubeが「ファイル交換」サービスになったのかという疑問は脇に置いておくが、アニメDVDの販売やレンタルへの因果関係を調べる中でテレビ視聴率が含まれていないというのは大変興味深い。15ページ目を見ると、地上波で放送されたか、どんな時間に放送されたかをはじめ、声優の掲示板を含む25個もの属性変数が取り上げられているのに、である*7

さらに言えば、ほぼ全世帯に普及しているテレビも、接続ノードが13万程度にまで減少した Winny*8、そうした規模の違いを無視して比較されている。だいたい、誰もが動画共有サイトを見ているわけでもない*9YouTube の視聴数は最後まで見た人の数でも、ユニークユーザーの数でもない。

そもそもレポートに元データ(調査データ)が掲載されていないので、「YouTube から削除したことが売り上げを減らした」という因果関係が示されたということに説得力がない。せめて補足のグラフには、上記以外の作品についての YouTube 寿命と売り上げの関係をプロットすべきだろう*10。結局、15ページ以降の「推定結果」に書かれているのは「私の推測では因果関係が認められます」という自己申告である。皆、ちゃんとレポートを読んでいるのだろうか。まともなリサーチ会社に、こんな調査を持ち込んで合格点がもらえる気はしないのだが。

因果関係の有効範囲

23ページ目の「結論と考察」には、「YouTube 再生数が1%増えるとDVD 販売は0.24%増える」と書かれている。そもそも「再生数が1%増える」という基準がよくわからないが*11、その影響は1万本くらい売れるソフトで24本分ということだ。

まあ、いい。テレビ視聴率もアンケート調査もなしに得られた推測ではあるが、そこに因果関係があると“仮定”してみよう。田中氏は、それを踏まえて「YouTube による視聴は歓迎すべきであり、排除するべきではない」と結論付けている。ここにも疑問がある。

たとえば、もっと簡単に“販売数”を増やす方法がある。価格を下げればよいのだ。「価格を下げれば、販売数は増える」という関係については、おそらく調査などしなくても因果関係が認められるだろうし、反論もないだろう。だが、「価格を下げれば、販売数は増える」から「皆、価格を下げるべきだ」ということにはならない。それは単に安売り競争を激化させるだけだということがわかっているからだ。「YouTube で視聴させる」ということを先がけることで話題作りになり、それが作品に販促効果をもたらす効果は考えられる。だが、それが業界全体への収益を下げないということまではレポートからはわからないし、考慮もされていない。断っておくが「YouTube で視聴させれば、価格を下げなくても販売数を増やせる」ことを否定しているのではない。「業界全体で YouTube で視聴させることが、業界全体の売上げを伸ばす」という説明の根拠がないのだ。

フリーミアム”を思い出してみよう。クリス・アンダーソンの『フリー』は、コンテンツを無料で提供し、付加価値で稼ぐというビジネスモデルが提唱していた。ここにはうまい言い訳があった。「いつまでも有効ではなく、早くする方が得」、つまり「フリーで提供すれば稼げる」という法則は(そんな法則があるとして)普遍的に当てはまるわけではない。早く実践した人にだけ有効な手段だと言っているのだ。その有効範囲は、『フリー』を発行したNHK出版が、『フリー』以外にフリーミアムモデルを採用していないことからも容易に推測できる。発行元の出版社ですら有効範囲は1冊だけだと思っているのだ。こういう提唱者(あるいは数人)だけが稼げるというビジネスモデルは他にもある。いわゆるマルチ商法だ。マルチから「早く参加すれば儲かりますよ」と言われても、それは普遍的に成り立つ法則ではない。

実は誰も信じていない

田中氏のレポートとは関係なく、コンテンツ会社の判断で YouTube の視聴を認めてもよいだろうし、私は「YouTube での視聴を認めるな」と言っているのではない。話題作りになれば本当に成功をもたらすかもしれない。アムウェイをやりたいという人をとめるつもりはない。ただ、田中氏のレポートにおける因果関係の説明は根拠が薄いと言っているに過ぎない。

「無料で弁護を引き受ければ、千客万来になりますよ」と言われて、真に受ける弁護士はいないだろう。アメリカのような“成功報酬”という形態はともかく、誰もがそんな安請け合いを始めたら、結局自分の実入りが少なくなるのは目に見えているからだ。「先行して話題作りができれば成功できる」という法則は、先行しない場合には成功できないのだから、業界全体で受け入れるようなものではない。田中氏のレポートは、ユーザーにとって便利な言い訳に過ぎないからあちこちで取り上げられているだけで、誰もが自分の立場に置き換えれば「そんなにうまい話はない」ということは認識できるはずだ。

だが、うんうん頷いたり、納得したつもりになっている人は、少し頭を冷やす方がいい。「どこそこは、マルチじゃないんだって」と言っているようなものだ。いいカモにされかねない。彼らは「うちはマルチです」と看板を掲げてやってくるのではない

*1:現在は、平成大合併で市になっている。

*2:実際に、そんな間抜けな調査をしたことはない。だが、ほんとうに赤ん坊から老人のすべてを対象にしていたら、身長と年齢、年齢と学力に強い相関関係があることは想像できるから、身長と学力をグラフにプロットすれば、そこに相関関係を見出すことは容易だろう。

*3:相関係数が1に近いほど強い相関がある。

*4:産経新聞リテラシーに多くを期待しているわけではないが。

*5:まとめて複数の検索エンジンに登録するサービスがあったくらいだ。逆に、Yahoo! は人力でディレクトリを作成していて、なかなか登録してもらえなかった。

*6:いずれも2009年の実績。

*7:もちろん、視聴率データが取り寄せられなかったということは想像できる。

*8:Winny、Shareともにユーザーが減少」(ACCS調査)より。

*9:古いデータで恐縮だが、ビデオリサーチインタラクティブ調査によれば、動画共有サイトの視聴時間は視聴者数平均で8時間(2007年)足らずであり、テレビとは比較にならない。

*10:「捕捉」と漢字を間違えている点はともかく。

*11:調査の性質上、ここは動画が削除されている状況を基準にすべきではないのか?