狼と踊れるか?

夫婦別姓

映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」はケビン・コスナー全盛期の傑作だ。この映画のタイトルは、出生時の名前がただの記号に過ぎない、その人を形容する表現(ここでは“狼と踊る男”)を後から名前として付けた、これこそ名前らしい名前だ、という印象的なシーンがもとになっている。

名前は個人を識別する記号である。だから結婚すると一方が“氏”を変えさせられると、仕事上の支障をきたすことがある。だから、通称として結婚前の氏を使い続けることもある。それは戸籍名と違うので、日常で支障をきたすことがある。だから夫婦別姓という制度が検討されている。あまり突っ込んで調べていないというか、メリットもデメリットも wikipedia に書かれていること以上にはとくに思いつかないが、個人的には反対する理由がない。現実に、旧姓を通称として使っている人はいるのだし、“そのことで”家族内に問題が起きるわけでもない。なにしろ、夫婦別姓制度というのは、別姓を“選択できる”だけで、別姓が強制されるわけではない。別姓を望む人が望まない人に迷惑をかけるような制度とも思えないから、「別姓を望む割合が低い」としても問題とは思えない。

創氏

結婚によって“創氏”を認めるべきという意見もあるが、これには反対だ。夫婦別姓と創氏はまったく違うものだ。そもそも、夫婦別姓制度は個人を識別する記号である氏を“変えない”制度である。ひとりの個人が結婚前の姓を続けて識別されることを望むなら、それを認めようというものだ。結婚によって氏を“変えられる”と見るか、“変えさせられる”と見るかによっても違うだろうが、夫婦別姓を望んでいる人にとっての“変えさせられる”を“変えなくてよい”ことにするだけだ。

創氏は違う。個人を識別する氏を積極的に“変える”制度である。個人の識別を意図的に妨げるおそれがある*1。そもそも、法律上も「氏の変更」は「名の変更」より制限が厳しい。名は「正当な事由」によって変更できるのに対し(戸籍法107条の2)、氏は「やむを得ない事情」によってしか変更できない(戸籍法107条)。もっと自由に氏を変えることを認めるべきという意見もあるだろうが、そうやすやすと氏を変えられるようにすべきだろうか。逆に、“やむを得ぬ事情”があるなら結婚という機会に関係なく氏を変えることは現行法でもできるのだ。にもかかわらず、創氏を結婚という機会だけに許す理由はあるだろうか。

ダンス・ウィズ・ウルブズ

まあ、日本にそんな習慣がなくてよかった。この名前は“自分で決める”のではない。下手をすると、「パソコンに向かう男」とか「早食いの男」などと名付けられていたかもしれないのだから。

*1:まあ、名前を変えるために結婚した、と言い放った知り合いもいるのだけれど。