【ネタバレ注意】「若おかみは小学生!」を絶賛しない理由

※2018/10/21 ストーリーで記憶違いがあったので修正しました。
※2018/10/24 高坂監督(&プロデューサー)トークショーに参加したので、末尾に追記しました。

若おかみは小学生!」はいい映画です。キャラデザが子供向けっぽいとか気にしてはいけません。いや、私自身がキービジュアルを見て「これはカバー外だな」と思っていました。たまたま「若おかみはいいぞ」という噂を耳にして見に行ったにすぎません。原作は講談社青い鳥文庫という児童向け小説です。脚本は“ガルパン”で知られる吉田玲子さん。もちろん彼女だけの功績ではないのかもしれませんが、よくできたストーリーです。これぞポストジブリ、とは私は思いませんが、そのように評する人もいるくらいです。私が思う「よいところ」はこちらに書きました。

以下、結末を含むネタバレがあります。映画を見てない人は、まず映画をご覧ください。















占い師のグローリー水領、おっこに何着も素敵な服を買い与えるとか、そこそこお金を持っているという設定ですが、占い師という仕事を現実で考えたら、割と胡散臭い人ですよね。なにか教祖にでもなって宗教やってる感じというか。登場人物に悪い人はいない、と聞いてしまっていましたが、何の前提知識もなければ何かのフラグだろうと思ってたところです。














「パン、ツー、マル、ミエ」は時代的におかしいんじゃない?:-)
















閑話休題

冒頭、おっこが両親とともに自動車で高速道路を走っているときに中央分離帯を越えてきた対向するトラックと衝突して両親を失います。一通り区切りがついたところでおばあさんのいる春の屋旅館に引っ越します。春の屋旅館があるのは花の湯温泉、子供の頃に両親と行ったお祭りで「花の湯温泉は誰も拒まない。すべてを受け入れて癒してくれる」という話を聞いています。

さまざまなエピソードが紡がれた後、そのトラックの運転手が事故で負った怪我の後遺症を治癒するためにおっこの暮らす旅館に家族でやってきます。運転手が事故のことを語りはじめ、前の車をよけようとしてとっさにハンドルを切ってしまったこと、その事故で相手の子供(おっこ)を残して親を死なせてしまったことを後悔してる、という話をします。

旅館で、しかも小さな子供(小学生のおっこ)の前で、そんな話する? 飲み屋じゃないんだよ。そうしないと最後の話につながらないけど、何その“情けない人物”の描写と思ってしまった。
(以下、ストーリーの記憶違いがあったので修正しました)

話を聞いたおっこは動揺し、おばあさんも状況を把握して、この家族には別の旅館に移ってもらう話になりますが、そこでおっこは語ります。「花の湯温泉は誰も拒まない。すべてを受け入れて癒してくれる」 しかし、その運転手が言います。「俺がつれえんだよ」

だからさあ、被害者の子供の前でそういう言い方する? “悪い人はいない”と聞いていたけど、この運転手にはかなりフラストレーションがたまった。そして運転手が言います「あんたは私が死なせた一人娘の関織子さんだろ」

おっこは答えます。「私は春の屋の若おかみです」と。両親の言葉に支えられた、おっこのやさしさに包まれる感動のクライマックスです。吉田脚本、すばらしい。

でもね、おっこは小学生なんですよ。彼女は、自動車に乗せてもらって高速走ってるだけで恐怖におびえてしまうほどのトラウマを抱えてるんですよ。そんな子供が「花の湯温泉は誰も拒まない」という言葉で事故を起こした相手を受け入れてしまうほど寛容になれるのって、ちょっと宗教がかっている気がしませんか?

もともと子供って“大人の判断”ができない存在、という認識が私にはあります。実際、14歳未満なら刑事責任を問われないわけですし、それこそ昔の小学校なら「最後の一兵卒まで戦います」と教えられて、それを自分の考えだと思い込んでしまうのが子供です。 もうしばらく泣かせてやってくださいよ。

公式サイトには、高坂希太郎監督のコメントがあります。

この映画の要諦は「自分探し」という、自我が肥大化した挙句の迷妄期の話では無く、その先にある「滅私」或いは仏教の「人の形成は五蘊の関係性に依る」、マルクスの言う「上部構造は(人の意識)は下部構造(その時の社会)が創る」を如何に描くかにある。

別に戦時中の教育まで持ち出すようなストーリーではありませんが、小学生に滅私というのが、どうも素直に受け入れられないのでした。

でもいい映画ですよね。

あとアニメ「君の膵臓をたべたい」もいい映画ですよ。残念ながら、もう終わっちゃってる劇場、多いですが、実写版より原作に忠実です。(実写版は改変がひどい)

※2018/10/24 追記。

2018/10/24にシアタス調布で鑑賞後に高坂監督とプロデューサー(2人)によるトークショーがありました。その際、質疑応答で高坂監督が「直したい部分」として「最後の部分で、尺が短すぎておっこの立ち直りが早すぎる。ここに時間をかけたかった」という旨の話をされていました(もう少し具体的な話をされていましたが覚えきれず^_^;)。

そうなんですよ。部屋を引き払った後の電車の中でよその家族が楽しそうなのに悲しげなそぶりも見せなかったおっこが、この直前には両親の死に向き合って大泣きするんですよ。ここが観客の涙を誘うクライマックスなので、もう少し泣かせてやってほしかったわけです。