数字で知りたい『電子書籍の衝撃』

佐々木俊尚氏の「電子書籍の衝撃」を110円でダウンロード販売している頃に読んだ。そのあとがきによれば「電子ブックも本の流通と読まれ方を大きく変えるでしょう」とあるのだが、その割に、日本市場での具体的な数字が示されていないように思う。「大きく変える」という表現が、たとえば「iTS(iTunes Store)が音楽の流通と聴き方を大きく変えた」というレベルの話であるなら否定するものではない。ただ、客観的に数字を見るなら、iTSは海外では成功したかもしれないが、日本では数%程度のシェアしかないものだ。「携帯では配信してもiTSでは配信されない楽曲」があるのは、市場牽引力の差であろう。もちろん、CDや書籍のように「版元が決めた条件(卸値など)」で売ってくれるのであればよいのだろうが、iTSはAppleが条件を押し付けているのだろうから。

過去のエントリの繰り返しになるが、電子書籍を(今になって)「衝撃」と言う人には、次のようなことを尋ねてみたい。

電子ブックデバイスは何台売れるのか

日本では、携帯電話も電子ブックデバイスの一種と言えるのだが、そういう広い分類をせずに、Kindleのような電子ブック専用デバイスは日本で何台程度出荷されるだろうiPadは、そもそも電子ブックデバイスという分類になじまないと思うが、これも何台くらい出荷されるだろうか。衝撃本には、「アメリカでこんなに売れました」という話は出てくるのだが、日本でどれくらいという数字がまるで出てこない。音楽配信になぞらえるなら、アメリカの電子書籍トレンドの日本への影響は数パーセントくらいしかないってことになりそうなのだが。

私は、おおざっぱに「Kindleポメラ程度、iPadiPhone程度」と予想した。これらの実際の出荷数データはないのだが、ニュースソースなどを見る限り、おそらくポメラは10万台程度、iPhoneは100万台程度というところだろう。電子ブックデバイスを買う人は本好きな人だろうが、この想定であれば、出版市場への影響は数パーセント程度にとどまるだろう。この数字の根拠は“個人的な印象”でしかないので、いくらでも批判は受けるのだが、「大きく変える」と言う人々は、どの程度の市場性を想定しているのかは知りたいところだ。ちなみに、携帯音楽プレーヤーは年間600万台程度、携帯電話は年間3000万台程度出荷されている(JEITA統計資料より)。

なお、「電子ブック市場が育つかどうかは、今の出版社が真剣に電子書籍に取り組むかどうかにかかっている」というなら、それはそれでよい。それは、「出版社が電子書籍に取り組まなければ、電子ブックや電子書籍の市場は育たない」ということだ。電子書籍の波からは逃げられないわけではないから、「それは、よかった」と胸をなでおろす出版社があるかもしれない。

電子書籍の市場規模

もちろん、電子書籍の市場は、電子ブック専用のデバイスに限定されない。パソコンで電子書籍を読む人もいるだろうし、携帯向けに配信されるコンテンツも増えていくだろう。それは、どれくらいの市場に成長するのだろうか。2008年度の実績(インプレスR&D調査)として携帯向け電子書籍が402億(成長中)、PC向け電子書籍が62億(やや減少ぎみ)だが、「電子書籍元年」というなら、その市場が急増する転機となっても不思議はないはずだ。それは、どれくらいの市場規模に成長することを想定しているのだろうか。

携帯書籍市場の“成長率”が鈍化*1していることを考えると、現在の電子書籍市場は、携帯書籍で500〜600億円程度、PC向けは100億円程度くらいではないかと思う。上記のとおり、電子ブックの予想台数が10万台とか100万台というレベルならば、1台あたり1万円の電子書籍が購入されるとしても最大100億円の市場規模程度であり、既存の市場に「大きな変化」をもたらす規模とは言い難い。もちろん、コミック中心の電子書籍が、コミック以外に広がっていく可能性はあるのだが、「コンテンツが増えれば、それに比例して市場が成長する」(つまり、コンテンツが増えなければ、変わりはない)という以上に、そうした変化が起きる理由は具体的に示されていないように思う。

なお、このエントリでも書いたように、どこまでを電子書籍に分類するのかは、それほど簡単ではない。"Alice for the iPad" も「電子書籍」の一種なのだろう(YouTubeでの紹介動画)。電子書籍扱いの携帯コミックでも、数年前から静止画だけでなく、効果音や動きがとりいれられている。インプレスR&Dの調査は、あくまで「電子書籍」という分類で売られているコンテンツに限定しているだろうが、範囲をモバイルコンテンツにまで広げると、モバイルコンテンツフォーラムによる日本のモバイルコンテンツ市場規模は4,835億円にも及ぶ(PDF*2

印刷書籍は、電子書籍によって、どれだけ影響を受けるのか

『フリー』を礼賛する著者の新しい書籍が、『フリー』と同じ出版社から発行されるにも関わらず、『フリー』と同じ販売モデルを採用しなかったという事実(日本の話)は、フリーミアム電子書籍の現状を端的に表しているような気もするのだが、それはともかくとして、今後「電子書籍によって」印刷書籍はどれだけ影響を受けるだろう。

出版科学研究所による「日本の出版統計」によれば、出版販売額(取次ルート)はこの10年減少しつつある。これはKindleiPadとはまったく無関係の傾向である。インターネットが普及して紙ではなくブラウザで情報を入手するようになったということもあるだろうし、たんにバブル崩壊の影響を受けたということかもしれないし、そもそもバブル期に伸びすぎただけかもしれない。

電子書籍が既存の出版市場に影響を与えるというなら、この出版販売の数字はどのように変化していくのだろう。電子ブックが登場したら、取次ルート経由の出版販売は、毎年10%、20%というレベルで激減していくのだろうか。私にはにわかに信じがたいのだが。
なお、断わっておくと、出版社は電子書籍に取り組まなくてよいと言っているのではない。「衝撃」というからには、どれくらいの衝撃なのかを具体的な数字で知りたいだけだ。「新・都市伝説リスト」にも書いたように、「信じることは宗教、疑うことは科学」という立場からすると、そうした数字なしには「衝撃」を信じられないのだ。マーケティングに携わってきた故の職業病かもしれないけれどね。

*1:鈍化といっても、前年比250%(2007年度)が前年比140%(2008年度)というレベルだが。

*2:これには、音楽配信やゲーム、ニュースなども含まれる